映画・エンタメ (59)

2011年11月19日 (土)

『1911』辛亥革命を見た

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もう先週のことになってしまったが、『1911』を見に行った。

※ジャッキー・チェンの映画出演100本目で、中華民国建国のきっかけとなった1911年の辛亥革命から100年を記念して製作された歴史大作。衰退する清王朝を憂い、新しい国を作るため立ち上がった孫文の参謀を務める黄興は、革命軍を率い総督府に攻めこむ。しかし、事前に情報を入手していた朝廷側に厳戒態勢を敷かれ、反乱は失敗に終わる。多くの命を失った黄興らは戦意を喪失していくが……。「レッドクリフ」の撮影監督を務めたチャン・リーがメガホンをとり、ジャッキーが総監督も務める。(映画.comより)

『アジョシ』を見に行ったときに流れていた予告編のジャッキー様のシリアスな姿に心惹かれ、「これは見たい!」と思った映画。予告に流れていたタンホイザー序曲は本編では使われていないが、これもとても印象的だった。

中国の歴史に詳しい人が見れば一気に二時間余りで辿るには薄いと思われるかもしれないが、辛亥革命や孫文、袁世凱の名前を知るくらいのいち日本人、ましてやジャッキー様の演じた黄興、誰?な状況で見てもそれなりに分かりやすく、いたって真面目なアツい想いを感じる映画だった。何より映像が美しい。

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革命や戦争もまず莫大な資金が要る。孫文は革命の現場を黄興たち参謀に委ね、革命軍への資金を調達すべくヨーロッパへ出かける。清王朝への融資を絶つべく繰り広げる外交のシーンは興味深い。主だった街には中国人テーラーと中華レストランが必ずある、と言われるほど世界各地に広がり成功した華僑たちの後押しや、目はしの利く日本の商人たちとの関わりも不可欠だった。

100年の間、革命は一度では済まず、戦争を挟んで歴史は迷走(?)を続け、現在に至る。一見繁栄の頂点にいるかのような今の中国や世界だけれど、人は何によって、何のために生きるのか、革命の意味とは何だったのか・・・そこらへんがストレートにメッセージとして描かれていた。

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何といってもジャッキー様の素敵だったこと。(もう、様付けですから。笑。)私はとくに過去ジャッキー・チェンの特別なファンというわけでもなかったが、ここに至って57歳のジャッキー様の真摯な演技には脱帽、感動、そして「惚れ直し」ましたとも。ええ。
若い兵士とともに銃を構えて戦場を駆けるジャッキー様の姿はまさに「理想の上司」そのもの。親友孫文を守る場面でカンフー・スターのさすがの身軽な動きをちょっとだけ見せてくださるが、そのほかのシーンではとくに「超人」ではない。ただ屈強な頑丈そうな頼れる上官の姿。危機に陥った陣地の混乱にこんな上官が駆けつけてくれたならどんなにか安堵できることだろう。

映画のはじめに、広州蜂起に参加した青年たちの姿が描かれるが、「炎のランナー」の海辺を駆けるシーンが彷彿とした。そのシーンは蜂起に失敗し、泥まみれでまさに累々と斃れていった哀しい場面に繋がる。この美しい青年たちのあっけない姿は、袁世凱や黎元洪などの一筋縄では行かない老獪な姿と対照的。そういう意味もあってことさらに綺麗な面々を集めた場面なんだろうと思った。

「宋家の三姉妹」以来孫文が当たり役となったウィンストン・チャオ氏、このかたのデビューがあのアン・リー監督(ブロークバック・マウンテン)の「ウエディング・バンケット」のゲイの青年役だったというのが興味深い。

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美しい青年たちの中でもさらに印象深い林覚民役を演じたフー・ゴーくん、この人は二代前くらいにアングロサクソンの血が入っているのだろうか、ダニエル・へ二―、時々パク・チュンフン先輩にも見えたりして。(笑)以前交通事故で顔面に大怪我なさったそうだが、そういえばジャッキー様も過去によう大怪我なさって・・・。

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※こちらはジャッキー様の一人息子ジェイシー・チャンくん。革命軍の若い指導者役。

その昔「ラストエンペラー」でアヘン中毒の婉容皇后を演じたジョアン・チェンがそのラストエンペラー・溥儀の母、隆裕皇太后を演じていて感慨深い。宮廷の老臣たちのしょうもない議論が紛糾してくると、この皇太后さまはらはらと涙を流す。それが退廃し滅びていくしかない清王朝の姿そのもののようで。

“たくさんの人々の夢と、決してあきらめない信念が、世界を変える歴史の変革をもたらしたのです。(中略)私たちはこれからも変化を続けて、そして良い方向へ変わるでしょう。それが私たちの希望です。今を生きる私たちが、先人たちの撒いた種と成果を無にすることはできません。この映画を見ればそのすべては「愛」のためだとわかるでしょう。(ジャッキー・チェンのインタビューより)”

見終わって売店でパンフを買おうとしたら、アルバイトの(たぶん)若いお兄ちゃんに「この映画、気になってるんすよ、どうでしたか?」と尋ねられた。
「良い映画でしたよ。ジャッキーさんがまた素敵で。見て良かったかな。」アツく語ろうと思ったら一言では足りないという思いが疼く、そんなキモチでシネコンを後にしたのだった。普段は日常の生活や仕事に忙殺されていても、自分の中にあるいろんな気持ちを呼び起こす世界へひととき連れて行ってくれる・・・映画を見ることの楽しみや意味とはそんなことなんではなかろうか。

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※「1911」は今年の東京国際映画祭のオープニングを飾った。日本語吹き替え版出演の中川翔子ちゃん、江角マキ子さんとともに気さくな笑顔のジャッキー様。

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2011年10月 2日 (日)

『アジョシ』・・・③キャラの立った人々

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※「Happy Together」は全てのレビューにおいてネタバレに配慮しておりません。作品を未見の方で、内容を知りたくない方は充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。(管理人)

「美しい仮面をかぶったモンスターのような俳優ですね。外見のかわいいイメージとはまったく違い、内側には驚くほどの強さと忍耐力を備えています。ほんの些細なシーンでも自分が心底納得しないとまったく動かず、徹底的に私とディスカッションします。ただ一度理解をすると、圧倒的な集中力で最高にパワフルな演技をカメラの前で披露するのです。普段の彼のイメージは“隣に住んでいるイケメンのお兄さん”(笑)親しみやすく、謙虚で男っぽさもある魅力的な青年です。」(映画パンフレット・ジョンボム監督のインタビューより)

「驚くほど、しつこい」「顔立ちの良い弟みたいな」(韓国版DVDメイキング、監督の語り)

ウォンビンくんの「納得しないと動かない」のは新人時代から変わらずさらに際まってきているようだ。ど新人時代のマネージャーを、「お前があんなに泣くのを見て俺のほうが辞めたくなった。」と言わしめたガンコものの彼。(何か納得のできないことをせざるをえなかったらしい。)「ブラザーフッド」のときにはカン・ジェギュ監督との「お話合い」、もしかしたらドンゴン兄さんよりずっと多かったのかもしれない。(笑)

役を生きることは、俳優さんにとってはその演技人生の終わらないテーマであろう。努力や生まれながらに備わったものと現場の持つ力がないまぜになって生み出されるものはさまざまであり、わけても主演俳優にはもちろん誰もが持っているわけではない「何か」をさらに加えることが求められるのである。

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無表情殺人マシーンの顔と、「ああ、人間なのね」と胸の痛む場面の眼差し・・・その配分は絶妙で、ナイトクラブのトイレでマンシクのボディ・ガードのラム・ロワンと最初の死闘を繰り広げたあとに、踊る若者の群れの中で睨みあう時のテシクの表情は白眉。怒りのあまり上唇が片方ピクピクなっているのだが、これは彼の顔の所謂ほんとの癖なんだろうか、演技だったんだろうか。ビンくんはよく泣いたり叫んだりする演技を繰り広げて来たけれど、こんな顔もするんだな、と思ったシーンだった。

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先日ドンゴン兄さんは「危険な関係」の製作発表で新たなる領域へ踏み出す(?)決意を述べていたけれど、所謂そういう領域ならばビンくんもまた、未踏。艶っぽいシーンのある作品はどうですか?と質問を振られ、赤面しながら答えるような身持ちのカタい青年である。(一人で見に行った「房子伝」という映画の中のリュ・スンボムくんの演じたそういう場面を見て「よく(スタジオにスタッフが大勢いる中だろうに)あんな演技が出来るなあ」と思ったそうな。)しかし、納得したらしたで、ある日突然すんごい突き抜けたセクシーな場面を見せてくれるかもしれない、と思ったりする。私生活でも、「私もそんな年頃になりました」とか飄々と言いながら、あっという間に嫁を取って子供も何人か作りそうな気も・・・???(笑)。
言動はそんなふうだけれど、そして笑うと別人のように可愛い末っ子なのだけれど、昔から顔も身体も全体から隠しようもなく美しい男のエロスが彼の姿からは漂っていた。

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麻薬取引の尻尾を掴みたいちょっとダメダメな警察の面々のガサ入れシーンから始まる『アジョシ』は店頭のソーセージを弄るアヤシイ質屋のテシクさんの登場から色が変わる。
アジョシ・テシクさんは世捨て人のように暮らしているが、仙人ではないからおなかも減る。白いご飯を炊いてソーセージのジョンなど焼いて、ケチャップなんか添えて、ソミちゃんの茶碗におかずを乗せてやったりもする。
その拳は殴り合いなのか空手でもやっていたのか痛んだような痕が見えて、それを目にしたソミちゃんに「おじさんはガンペ(やくざ)なの?」と聞かれている。

「よく見るとなかなかのルックス」(ソミ母ちゃんのセリフ、日本公開の字幕より)淋しいなら子供でなく私を誘えば?と粉をかけられるが無言のおじさんは、何気に妙におしゃれなニットを着ていて、そのニットから伸びた首筋、動きにつれて浮かぶ上腕や背中の筋肉がまたたまらない。ついこういうところまで楽しく見てしまうのはファンだからなんだろうけども。テーブルの下に隠れたソミちゃんにご飯茶碗を落としてやるのにテーブルの上にアラベスクに伸ばした脚はダンサーばりの無駄のなさ。

ジョンボム監督の世代ゆえだろうか、キャラの設定はどこか漫画のコンテを思わせるのだが、それがとても巧みで詳細で、選ばれて配置された俳優さんたちがまた期待を裏切らずのキャラの立ちようなのがこの映画の素敵なところだ。

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地味にイイ男のキム・チゴン刑事(キム・テフン)はキム・テウの弟さん。なるほど面差しはお兄さんと似ているところがある。ソミとテシクの関係に首を傾げながらもやがてそのプラトニックな愛と心の結びつきを悟り、テシクの奮闘ぶりに天晴れだという表情を見せる。

最初にチゴン刑事がビール瓶を投げていたオ社長のところの「熊」という大柄の構成員を演じていた俳優さん(ソン・サンギョン)はよく見る顔で、ドラマ「チング」ではウンギをやくざの世界に引き入れた友人としてけっこう長いセリフを喋っていたっけ。どうしてもこういう役が多い人なのだろうけども、次にどこかで見たら「あ、熊」と呼んでしまいそうだ。

マンジョン兄弟のエキセントリックな弟チョンシクを演じたキム・ソンオはドラマ「シークレットガーデン」でヒョンビンの秘書の役だったが、こちらはまたトボケた人のいい感じで、チョンシクとはまるで別人だった。

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弟とちっとも似ていないお兄ちゃんのマンシクを演じたキム・ヒウォンは舞台出身だが、一時演技生活を離れてオーストラリアでほかの仕事についていたという苦労人。「マイウェイ」にも出演しているとのことなので、楽しみなことである。(この人しかし、どんだけこの映画の中で「け~~せっ○や~~!!」(悪い言葉)を叫んだことやら。^^;)

オ社長役のソン・ヨンチャン・・・このかたも何気によく拝見する顔である。「情事」のイ・ミスクの旦那さん、「情け容赦なし」では冒頭の階段シーンであっという間に殺され、「デュエリスト」ではカン・ドンウォン演じる美しい刺客に愛のキモチを吐露していたりしたっけな。

ものすごく存在感のあった蟻の巣の血も涙も無い強烈なやり手婆さん(ペク・スリョン)、文房具店々主のはらぼじ(クォン・ソンドク)はともに舞台の人らしい。
テシクの昔の同僚のムン・ダルソ(チョ・ソギョン)も印象的で素敵だった。この人はなにげにたくさん仕事をしていて、つい最近も間違いでなければ昼間放送されていた割と新しいドラマで姿を見たような気がする。

テシクの亡くなった奥さん(ホン・ソヒ)・・・特殊要員も普通に結婚するんだな、どこでどんなふうに知り合ったのかな、と妄想を膨らませたくなるような、いかにもそれらしい可愛らしさ女性らしさで、ビンくんとよく似合っていた。

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そんなキャラの立った面々の中でも異彩を放っていたのが、ヴェトナム軍人出身のマンシクのボディ・ガード、ラム・ロワンを演じたタナヨン・ウォンタラクンである。彼が出演し、ジョンボム監督がそれで彼を目にとめたという阪本順治監督の「闇の子供たち」は残念ながら未見。モデル出身とあって顔は小さく、背格好はビンくんと同じくらいか。彼は最初に質屋のテシクさんを只者ではないと見抜く。自分と同種のニオイを感じ取り、最後には飛び道具でなく素手とナイフでの闘いを望んだ。殆ど喋らないながらにソミちゃんがおでこの傷に貼ってくれた絆創膏に殺し屋の心も疼いたのだろうか、彼はラストのソミちゃんの生還に繋がる命令無視の単独行動を取ってくれるのだった。

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※こんな舞台挨拶でのひとコマもあったようです。笑顔のタナヨンさん。なにげにいいカラダしてますよね~。

韓国語は出来ないそうなので、無口なビンくんともそうそう会話が弾んだとは思えないが、仲は良さそうである。メイキングでも合間によく笑顔を見せあっていた。あれだけの戦闘の振り付けをこなすのだから、ダンスのパートナーと一緒で互いの身体レベルもよく分かっていたことだろう。美しい男二人の美しい舞踏の如き闘いのシーンであった。ちなみに、タナヨンさんはタイの人。「マッハ!!!」を見た監督が連れて来た「タイフーン」のトトさんみたい。(トトさんは元気かな?あ)

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※ケミストリーの堂珍くんと似てるよね~~・・・とお友達のBBSで話題になったとき作った画像。おまけ。(笑)

8月に舞台挨拶で見たソミ役のキム・セロンちゃんは映画当時よりさらに大人びて、アジョシにエスコートされてちょっとしたレディであった。「彼女は一人前の女優」とビンくんは言っていたが、このまま素直に才能を伸ばしていっていただきたいものである。去年のモロモロの映画祭にセロンちゃんと一緒に出席したビンくんは「アジョシ」と同じく「タルパボ」(娘バカ)という言葉を流行らせたものだった。「おじさんは、セロンだけが好き」という記事の見出しもあったっけ。

・・・さて、全てのことを片付け、静けさの訪れたクライマックス。おじさんは身も心も使い果たした抜け殻のようになり、もう生きるのが本当に疲れたとばかり自らのこめかみに銃口を当てる。ソミはいない。助けられなかった・・・役に入り込んだビンくんの演技の頂点感と心の痛みがヒシヒシと伝わってくる。しかしソミは生きて目の前に現れる。正気に戻ったおじさんの両の瞳から零れ落ちた涙とともに、天井から降る白い光が例え様もなく美しい場面だった。

「私を助けに来てくれたんでしょ?そうでしょ?」

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話の続きを考えるのは野暮かもしれないが、おじさんは一体あのあとどうなっただろう。ソミちゃんといつかまた会える日はあるのだろうか。
そんな日も来てほしい。ほんとうのおじさんになっていても・・・
印象的なエンドロールの歌を聴きながら、どうしてもそんなことをついとめどなく考えてしまった。

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主演俳優さんならば一度や二度や三度は役の上で死んだことがある、というのが韓国映画やドラマの特徴だと私は思っているが、ウォンビンくんはじつは一度も「死んだ」ことがない。これは稀なことじゃなかろうか。いつも誰かを見送っては泣いている。あんなに華奢で夢のように美しい姿で皆をケムに巻きながら、俳優の仕事をしていないときは田舎の御両親の畑でジャガイモを掘っているようなカンジ、そんな人としての真っすぐ育った生命力と頑固なところがファンとしては妙に安心できたりもする。

いろんなことがあったけれど、再び迎えた最盛期&男優としての一番いい時期、次に選ぶ作品がとても楽しみだ。

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※セロンちゃんのお部屋とアジョシのプレゼントのピンクのノートパソコン。う~ん、「たるぱぼ」(笑)

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さて、我らがチャン・ドンゴン公式FCアドニス・ジャパン8周年、おめでとうございます^^これからも皆さまで楽しくマッタリと、応援して行きたいですよね^^これからいろんなニュースも出て目まぐるしそうです。

ミンジュンくんの一歳のお誕生日を記念して、新生児や未婚のお母さんのためにと今年も大韓社会福祉会にご夫婦で一億ウォンの寄付をなさるそうです。意味の大きいことですね。

アドニスのメッセージ動画はLG電子にWFP大使として上げたサポートへのお礼と引き続きの関心をとのメッセージと同じ時の撮影ですね。遅くなりましたが、LG電子の動画上げておきます。

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2011年9月24日 (土)

ウォンビン賛・『アジョシ』・・・②

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※「Happy Together」は全てのレビューにおいてネタバレに配慮しておりません。作品を未見の方で、内容を知りたくない方は充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。(管理人)

日本列島直撃で被害の大きかった台風15号が、うんざりするような長い残暑をさらって行ったようだ。哀しいくらいに良く晴れた秋空の連休である。

その台風がやってくるという日、近所のシネコンのレディス・デイに行き、観終わって立体駐車場に出るとまさに嵐のさなかであった。音を立てて吹き抜けるナマ暖かい突風は折れた木の枝や草のニオイがして、まるで今見て来たバイオレンスの続きのような情景であった。
もっとも、「アジョシ」の中で降っていた雨は嵐ではなかったが・・・

空から落ちる雨粒とともに放り投げられ、ゴルフ場の打ちっ放しのネットの上に転落するウォンビンの体・・・この場面の映像がとても美しい。
冷たい雨の中何度もワイヤで吊られて振り回されながら「ああ、ぼくはもうここで死ぬんだな・・・」と本人は思っていたという。

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ゴルフ場のオ社長はやくざの元締め。行きがかり上、社長の舎弟マンシク・チョンシク兄弟の「裏工作」の片棒を担がされる羽目になったチャ・テシク(ウォンビン)が訪ねて来た時、何の疑いも無く麻薬商売の取引相手の中国の組織の人間と思いこんで中国語で話しかける。
緊張感あふれる場面というのに私はちょっとぷぷっと笑いそうになってしまった。
アヤシイ質屋のチャ・テシクさん、ソミちゃんのママには「変態」呼ばわり、オ社長には「恐れを知らない大陸のヤツ」・・・うちの妹は入隊前に髪を伸ばし、うっすらひげを蓄えていたビンくんのことを「フィリピンあたりのヤクの売人みたい」と言ったものであったが、そもそもウォンビン、ドコの国の人だかたまに分からなくなる・・・とまあ、同じことを監督さんも感じていたようで。(笑)

ソミを命がけで助けることを決心したとき、おじさんは目を隠すくらいに長かった髪をバリカンでジャーヘッドに刈る。それは過去の自分に戻って「任務を遂行する」という決意の姿であった。

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髪が長い無口なおじさんは謎だらけの存在だが、クラブのダンサーの母親にネグレクトされている隣の少女ソミには唯一放課後の他愛のない話を聞いてくれる(一方的に話しかけている)大事な友達。
ソミの母親はヤク中で、彼女が店で取引されるはずだった麻薬をくすね、横流ししようと浅はかに企てたことから事件はソミとおじさんに降りかかる。麻薬を奪い返しに来たマンジョン兄弟はこれを機に親分を裏切ってわが道を行くことに。マンジョン兄弟がしのぎにしているのは「丸太商売」と言われる臓器売買であった。それが大人ばかりか親に捨てられた子供までとなるともう笑えない。ほんとうにそんな闇世界は現実として存在するものなのだろうか。

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おじさんは結果としてその闇商売の一端を暴き、鉄槌を下すことになるのだが、そのシーンを見ていてふと昔良く見ていた時代劇のセリフを思い出した。
それは萬屋錦之介氏主演「破れ傘刀舟悪人狩り」の「てめえら人間じゃねえや、叩っ斬ってやる!」というもの。
やりきれぬ話のやりきれぬ殺戮バイオレンスには動機づけが明確でないとエンターテインメントとしての成功も、ましてや観客の理解も得られない。「アジョシ」はそこのところが至極上手く出来ていて、ラストまで息を潜めて見ていた観客が涙とともに何とも言えぬカタルシスを得られたこと、ここがミソなのである。

私は「アジョシ」を見たとき「タイフーン」と同じようなキャラ落ちをした。クシャクシャの長髪をダウンジャケットのフードに包んで登場し、ぼそぼそと喋るテシクさんはあの海賊シンさん以来のトキメキであった。(「タイフーン」にはしかし、シンさんに限りない愛を覚えこそすれ、お話の上でのカタルシスはなかったのだった。残念ながら・・・)

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「チャ・テシク」はUDUという情報特殊部隊の要員だったという設定。世捨て人のように古びたビルで質屋をしながら暮らすまでに起きたことで心に深い傷を負った。不本意ながらにソミ親子の事件に関わったことにより「個人情報にロックがかかっている特殊な人物」であると知れ、事件の進行につれ、国情院がテシクを引き渡すようにと横やりを入れてくる。そんな人物がなぜ闇社会の麻薬密売組織に関わっているのか、闇社会のほうも警察のほうも理由が分からない。

その理由というのが、テシクの心の傷とのッぴきならぬ関係なのだ。テシクおじさんが特殊部隊の要員になった経緯モロモロをついいろいろと妄想したくなった。そういえば「タイフーン」の最初のほうで、国情院のキム次長が、海軍からの出向をするカン・セジョンに「任務完了の暁には海軍に復帰するもよし、社会に出たければ職を斡旋する」みたいなことを言っているシーンがあったっけ。「エアシティ」の黒色要員といい、国と軍隊の絡むグレーゾーンな世界はまた、やくざさんの闇社会と一緒にはならないけれども、空恐ろしい闇を覗く心地のすることだ。(ううむ・・・・)

途中で出て来た回想シーンの中のテシクには美しく可愛い奥さんがいて、その奥さんは子供を宿し、そして彼の仕事の巻き添えで子供とともに亡くなった。

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生きて会えなかった自分の子供。それは母親に半分捨てられたも同然のソミの存在にどうしても重なる。だが、父親としての現実の子育てを知らないテシクにはつい戸惑いやためらいがある。結果庇ってやりたかった場面で「知らんぷり」をしてしまい、ソミちゃんを泣かせる。

ソミ役のキム・セロンちゃんが好きなシーンとして上げていた「路地裏のシーン」・・・「私を乞食とののしる人よりおじさんのほうが悪い。でも憎まない。おじさんまで憎んだら私の好きな人がいなくなっちゃう。それを考えたら胸が痛いから。」ぽろり泣きながら訴える彼女に一言も返せず、「ごめん」も言えなかったこと・・・これが「おじさん」力の限りの救出劇の動機だった。(所謂、個人的な事情・・・なのかな?)

奥さんと子供の命日に、きちんとアイロンをかけた黒いスーツで出かけ、そのスーツがボロボロになり果てるまで八面六臂の戦いを見せるおじさんは、隠しようもなくセクシーだ。
こんな「逸材」、質屋さんとして暮らしながら一体どこでどうイロんなものと折り合いをつけて来たものやら。(ほんとうに妄想ぐるぐる、なんである。汗。)ソミのお母ちゃんでなくともそそられようと言うものだ。

アクションはアジアの戦法などを取り入れ、現実重視の勿体づけのないリアルな「瞬殺」。あまりの動きの速さと無駄のなさは、メイキングの振り付けシーンを見ても口を開けているばかりなのであった。恐くて、美しかった。

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さて・・・21日にロンドンより帰国したドンゴンさん、「危険な関係」本決まりになったようです。こんどは北京へ飛んで26日制作発表があり、そのまま撮影に入るらしいです。たしかに監督さんは韓国のひとですが、今度のお芝居も中国語とのことで、外国語での演技が続きますね。(ちょっとハングル喋るドンゴンさんの演技が懐かしいかも~~)

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で、空港での御夫婦の帰国ファッションがこれまたぜんぜん別のテイストなとこがちょっと話題になったらしく。オトナになってからのご結婚ゆえにその辺は各々というところがかえって「こなれた夫婦」っぽくてリアルかもですね。(笑)ドンゴンさんはブルーのパーカーに可愛らしいビーニー帽(でもきっとお高い。)細身のジーンズの太股の部分の切り替えが凝ってますね。

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こちら、今月前半に同じく中国での「アジョシ」のプロモのために出かけたビンくんの空港でのファッション。不思議なおばさん帽、とネチズンの反応(爆)だそうで、う~む、たしかに。^^;帽子とスターは切り離せないアイテムなんですね。忙しいし頭を整えてる時間もないかもしれないし、眠くて目も隠したい気分かもしれないし???

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2011年9月20日 (火)

ウォンビン賛・『アジョシ』・・・①

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※「Happy Together」は全てのレビューにおいてネタバレに配慮しておりません。作品を未見の方で、内容を知りたくない方は充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。(管理人)

先月の30日、映画「アジョシ」舞台挨拶つきの試写会で約2年ぶりに生のビンくんを見た。
元気そうで、時々控え目に笑う姿を見られて安心した。そしてそのあとの映画は期待を裏切らなかった。

先日、久しぶりに公開初日初回を見に行く(近所の映画館だけど)ということをした。あの「隣の家のおじさん」にまた会いたくて。ああしかし、どうしてことウォンビンという俳優さんのことになると何時にも増して言葉が空回りすることだろう。言葉なんてほんとはいらんのだ。スチール写真眺めているだけでなんだか衰えかけた脳味噌に新しい血がモリモリ巡る感じがする。美しくて、そしてエロくて。(ひゃ~~・・・・)

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※こういう写真でポーズさせるとファンシー度天下一品。嗚呼うっとり・・・

彼に関してはなぜかいつも私の中に「近いところまで寄って見なくても良い」感があって、イベントなどでたとえちょっと遠い席でもかえって安心しながらいろんなことを考えたものだった。負け惜しみではない。彼は私にとって、ドンゴン兄さんにも増して近くには寄れない人なのである。

いろんな人が、そして私自身も何度も過去に言っているけれど、ひとえにこの人の「幻想抱かせ」度の高さのせいだと思う。

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※LG電子3Dが大勢!の広告写真。この人の身体能力の高さがこのポーズだけでありありワカル。

「素を追っかけようのない」と思う人・・・・何を隠そう初めて生で見た韓国の俳優がビンくんだった私だが、一目拝んだその時にスタンスは決まった。

「可愛い」「弟」と言われ続けたこの人も今年34歳。34歳という年齢を思うと外見のキープ度はむちゃくちゃ高い。

しかしこの映画では「あじょし」(おじさん)と隣の小さな女の子にごく普通に呼びかけられている。(韓国ではアジョシという単語の使用頻度は広くて高い。)
前作ではまだ「母ちゃんに守られる息子」役であったが、設定はそうでもあの息子の底知れなさはすごいなと思った。(すごすぎて、美しさもセーブされていたかもなあ・・・)彼はこの作品を自分のターニングポイントだと言った。息子役ここに極まる、だったのか。

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※あのアンドレ・キム先生を一発でオトした(??)ぶいぶいアイドルのころ。水が滴る如くに美しいものの、まだポーズがいまひとつ曖昧な・・・

ポン・ジュノ監督は「世話される役はこれで終わりにして次は男っぽい役やアクションをやったらいいんじゃないか」と言ったそうだが、彼は兵役途中で怪我のため転役(中途の除隊とは意味が違う。予備役といってたぶん何年かに一度訓練に参加の義務がある、兵役の終わった人と同じ)し、最後まで同期の皆とともに務めを果たせなかったことにとても傷つき、「たとえ怪我が良くなったとしてもそんな自分がアクションなんてやっては・・・」と長い間思っていたと読んだことがある。

しかし「母なる証明」のトジュン役を経て、自然と心の中で時が満ちたのだろう。そして、「アジョシ」の役の心の痛みが描かれた脚本をたいそう気に入ったのだという。

「熱血男児」に続き「アジョシ」が二作目になるイ・ジョンボム監督は71年生まれ、40歳という若さ。「映画監督」のやたら多い(と思う)韓国という国では、映画を一本撮れるも撮れないも、当たるも当たらぬも板子一枚な世界なんじゃないかとつい勝手に想像してしまう。試写会の舞台挨拶でビンくんの隣に立っていたジョンボム監督は控え目で人のよさそうなオタクおじさん(失礼)という風情だった。最初は「アジョシ」役を普通の小父さんで撮ろうと企画していたそうだが、ほんとうに地味な小父さんで撮ったとしても自分の内にある美学と信念を的確に説得力を持って届けるということをする監督さんだと思った。

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※監督さんと主演の二人。日本での記者会見で。

「アジョシ」は結果として「ウォンビンあってこその映画」と言われているけれど、そうはいっても目の前にウォンビンだけ出せば630万人動員の2010年No.1ヒット作を撮れるもんではなかろう。スターをフルに使う、気持ちよく使い切る、そんな言葉が頭に浮かぶ。ハードな中にも思わずいくつかぷぷぷ、と笑いたくなったエピをありがとう、監督。(笑)

「アジョシ」はウッカリ付き合っている彼と一緒に見に行った女子が、映画が終わった後ふと隣を見て「タコが座っとるわ・・・」と思ってしまう映画なんだそうな。ははは・・・・(そりゃ彼が気の毒ってもんでしょう・・・^^;)

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おじさんと、少女。

少女ソミがこの世でたった一人頼りにしていたおじさんが助けに来てくれた時
「私を助けに来てくれたんでしょ?」と泣き、それまで冷酷無比のターミネーターと化していたおじさんも涙する。寄る辺ない二人の魂の寄り添うさまがこの映画の「必然」となるために、ここらへんにたどり着くまでの「愛の表現」が甘いと、たくさんの観客が思いいれることは難しい、そんなコワい世界でもある。

「子供といっしょにあそこまでの愛を表現したのは初めてだった。」とビンくんはインタビューで答えていた。私はハタ、と膝を打った。そう、まさに「ピュア・ラブ」なんだが、(日本でのコマーシャルでは、「アヴェ・マリア」がBGMになっていたし。)なぜそこまでおじさんは至ったのか・・・

「下女」に出てくる少女ナミちゃんはお金持ちの家で何不自由ないが、恐ろしいものを見せられてしまう。「アジョシ」のソミちゃんは不幸のどん底をさ迷うハードな生活で、それはたぶんずっと続く。どっちもやりきれない「子供の人生」だと思うが、ソミちゃんのハードな人生には隣のおじさんが灯してくれた愛がある。その愛があるかぎり、ソミちゃんはまっすぐ生きて行けそうな救いを感じる。

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人を売買したり殺すことが許されないのは当然のことだが、表の世界と裏の世界のはざまの矛盾に生きる「おじさん」が見せた苦しみや痛みや、悲しみに強く強く思いいれられたのはたしかに、ウォンビンという俳優の存在そのものの力によるのだと思う。

「よぷちぷあじょし」(隣の家のおじさん。ターミネーター・あじょしが「誰だ、おまえは」と聞かれて答える短いセリフ。)
「はんぼんまん あなぼじゃ」(一度だけ、抱いてやろう・・・字幕では抱きしめたい、になっていた。どっちが良いだろうか、ニュアンスは限りなく難しい。)

この言葉を聞きに、時間を見つけてまた映画館に行ってしまいそうなmiyukiである。

(今少し続きますので、読んでくださいね。次回は、おじさんのエロさについてなどをすこし・・・汗coldsweats01

※ドンゴンさんは明日帰国予定。映画マイウェイのティーザーポスターが公開になりました。日本のポスターと同じ写真を使っていますね。

「アジョシ」を見に行ったら大画面で予告編が流れました。^^

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・・・しかし前売り特典「歩数計」ってちょっとワロた・・・(すんません)公式HPで公開予定のお近くの劇場などご確認ください。

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2011年9月 8日 (木)

映画『ハウスメイド』(下女)を見た

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※「Happy Together」は全てのレビューにおいてネタバレに配慮しておりません。作品を未見の方で、内容を知りたくない方は充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。(管理人)

英題『THE  HOUSEMAID』韓国でのタイトルは『下女』(はにょ)、日本ではカタカナで「ハウスメイド」
うちの近所のシネコンにも来てくれることを知り、ありがたく出かけて見てきた。

先月末に公開後、どうやら各上映館そこそこの入りを果たし、快走中のようだ。もしかしたら予定よりも公開の映画館が全国で増えたりするのかも知れない。・・・アキバのメイドカフェ・・・とはなんも関わりない世界だが、日本人はメイドさんと聞くとどうもとことん、ソソラレてしまうものらしい。(ヤッパリ御主人さまとメイド、ここから喚起されるものはただひとつ・・・なのか?汗)

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果たして平日の昼間の上映回にして、近所のシネコン様で見たどの韓国映画よりも男性客の姿が多く(戦争ものだったりするとちらほら年配の男性客の姿があるのだが)、公開第一週ということもあり、「館内込み合っております」とチケット売り場のお兄ちゃんが告げるのであった。

本作は韓国映画の歴史が語られる場に必ずと言っていいほど登場する60年代の怪作、キム・ギヨン監督「下女(はにょ)」のリメイク。イム・サンス監督のインタビューによると、「描こうとしたのは、まず韓国社会の階級問題」だと言う。

ますます深刻化する格差社会・・・これは日本も同じで「はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」(石川啄木・一握の砂)なキモチがうっかりすると日々の小さな幸せ気分を凌駕して、皆が押しつぶされそうな今日この頃。貧しくとも真面目に働けばいつか良い暮らしが出来るようになる、と誰もが思えた高度成長期の昭和はすでに遠く、日々起こるしょうもない犯罪の背景にも何とも言えない厭世感がどっぷり現れておるのだ。

「努力してもきっと報われることはないだろう。だけど、生きている以上は食べていかなくてはならんから、働く。」

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時々人はフツフツと、思う。
「冗談じゃねえよなっ。」
しかし何かをモノ申すパワーも出ない、そんな世の中になってしまった。

格差社会のうらみつらみは日本も韓国もどこの国にも同じようにあるものだと思うが「恨(はん)」という文化を持つ韓国のこと、ウニが辿る感情の行方、この映画の結末のありかたにもこれは例外なく、色濃く染み着いていた。

※『恨』とは・・・社会的抑圧に発する諦念と悲哀の情緒が自己の内部に沈殿し,積もった状態をさす朝鮮語。具体的な復讐の対象を措定する〈怨(ウォン)〉とは区別される。一方,挫折した夢をかなえ,望むべき新たな生を実現させようとする感情の営みを〈恨解き(ハンプリ)〉という。(マイぺディアより)

繁華街の屋台や飲食店で夜通し働く女たちの姿から始まる本作、ヒロインのウ二も朝になると友達の原チャリに相乗りして疲れて家に戻り泥のように寝る・・・そんな暮らしをしている。そこへある大富豪のお屋敷からスカウトが。

メイドとしてお屋敷に奉公に上がった娘が、御主人のお手付きになりさんざんな仕打ちをされた挙句、身も心も傷ついて捨てられる・・・平たく言うとストーリーはそういうことになるのだが・・・。

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イ・ウ二(チョン・ドヨン)
大学は中退したものの「保育学」を学んでいる経歴を評価され、大富豪コ家にメイドとして雇われる。仕事は双子を妊娠中の若奥様ヘラの身の回りと、6歳になる娘のナミの世話。

ベテラン・メイドのチョ女史セレクトのピッチリ身に添うミニ・スカートの制服を纏った姿は年齢不詳で可愛く、純朴だが無防備すぎで、どこかがちょっと緩んだ絶妙な感じ。市井でたくましく働いてきた彼女はちょっとした物件なんかも所有しており、それを賃貸に出しているらしい。何故かお尻には大きなやけどの跡がある。この傷のことや、ウ二の生い立ち、背景などについては特にストーリーに絡んで語られることはなく、「いちおういろいろあったんだろうな、彼女も。だから御主人にいきなり迫られても驚いたり騒ぐことなく、かえってアッサリ関係を持っちゃったのね。」というくらいの伏線か?

冒頭の「働く女たち」のシーンで、一人の女が繁華街のビルから投身する姿が象徴的に出てくる。顔は殆ど映っていないが、ヒロインのウ二に背格好がよく似ている・・・と思ったら、途中チョン・ドヨンさんのスタント代役も務めた女優さんらしい。そういうことからもわざわざ似ている女が飛び降りるシーンはいかにも思わせぶりに挟まれたものであるが、個人的にはかえって分かりにくい扱いのシーンだったかも??(この監督さんは、こういう思わせぶりが好きなんだろう、と思う。)

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チョ・ビョンシク(ユン・ヨジョン)
コ家主人フンから「女史」と呼ばれる大ベテラン所謂メイド頭、コ家の「ロッテンマイヤーさん」(か?)。お金持ちの家に起こる色んな事、エロんなことモロモロを含め、全てを知りつくし「いまわしく、汚らわしく、恥知らずなこと」と呟きながら臥薪嘗胆幾星霜、息子を「大韓民国検事」に育てた。これが寡黙な小父さまであれば「素敵な執事」的立ち位置、しかし女故に空恐ろしく「家政婦は見た。」そして「家政婦は強かった。

大好きな女優さんの一人である。キム・ギヨン監督の使用人三部作(すごいなあ^^;)「火女」が映画デビューで、いきなり青龍主演女優賞に輝く。「愛の群像」等を書いた脚本家のノ・ヒギョン氏は彼女とナ・ムニさんを「先生」と呼んでいる。ドラマ「コッチ」で演じたウォンビンくんのオンマ、「愛の群像」キム・ヘスさんのオンマなどが忘れ難い。しかし、それにつけても本作の「酔っぱらって脱いだ」レースのブラとガードルシーンはなかなかに衝撃的であった。
(そういえば、一つベッドで爆睡しているウニのお友達も、キツそうなブラとガードル姿であった。監督さん、もしかしてフェチ?・・・すみませんすみません・・・・^^;)

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コ・フン(イ・ジョンジェ)
富豪コ家の主人。妊娠中の妻とは満足できず、メイドのウ二にいとも簡単に手をつける。優雅でいつも完璧な身なり、美しい容姿、そして、絶倫。(大汗)

時々神経質な素振りが窺えるのは、育ちが良い故か。ウ二にとっては別世界の住人の言いようのない冷たさ。楽しみを得たので対価はちゃんと支払う、それ以上の関係は考えないしありえない。作中、ウニが宿した自分の子供のことについて、妻の母親に対して言い放つ言葉は一見マトモそうに思えるのだが、限りなく手前勝手。(ジョンジェくん、ダメダメ男なのね、フン様って。笑。)
妻の母のことは、どうも苦手なのか嫌いなのか、そんな態度を仄めかす。(昔若さに任せてナンかありました?という感じでもなく・・・。)

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若奥様・ヘラ(ソウ)
ビックリするくらい大きなおなかを出してヨガに勤しみ、ボーヴォワールの「第二の性」など読んで、「(子育ての手が確保できる身分なんだから)5人でも6人でも産むつもり。」と言い放つ。
旦那さまが「あじゅんま」に手を出したことは旦那を愛してるからというより自分のプライドにかけて許せない事態であり、出産後の旦那の労いのちっすで唇に思い切り噛みついたりするが、可愛くもいじらしくも無し。

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いくつか、印象に残った場面
※一家で出かけた山の温泉(別荘?)にお供の途中、いかにも寒そうな山の中の道路っ端でなぜかしゃがみ込んで用を足しているウニ、というシーン。御主人一家と同行というのにこんな状況で「は~~キモチいい・・・」って大らかなのか、無神経なのか、ウニさんや・・・。

※その温泉でのシーン。家族は屋内の浴槽に浸かって、寒い戸外に使用人とはいえ水着姿のウニさんを残し、さっさと窓を閉めちゃうフン様。身分の違う人間のことは気にもしない、というところか。ウニさんは気にかけてもいなさそうに無邪気に屋外の浴槽に飛び込んでいた。ちょっと見ているほうの胸が疼いた。

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※コ家での初日、ビョンシク女史から仕事の説明を受けるウニ。その中に、「(臨月につき?)ちょっと咳込んでも、尿漏れするので」奥様の下着は手洗いするように、というものがあった。

ブルジョワの美しい奥様とて、ぱんつは汚れる。そんなことをわざわざ脚本に皮肉っぽく描く監督さん。奥様のパンティはシルクの高級品かもしれないが、片やセクシー制服のウニさんが旦那様に見せる下着はシッカリ深ばきのなんの飾り気も無い白い木綿(?)のブルマみたいなぱんつ。これがウニの子供っぽさとアブナさを増幅させる、といったところ?(うむ、監督さんはやっぱりマニアだ・・・)

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※旦那様のお手付きになったウニが、本人自覚はまだ無いものの、妊娠したようだ、とビョンシク女史の密告から始まったヘラ母の陰謀により、「高いところから転落して」入院したウニさん。病院の女医(なんと、ムン・ソリさんカメオ出演)に告げられて子供が出来たことを知る。退院後ちゅ~ちゅ~とビニールパック入りの(ここがとっても韓国っぽい。)茶色くて苦そうな漢方薬をストローで一心に啜るそのあたりから、だんだん諸事情により心神耗弱、まるで宇宙人のような表情になり果てる。このへんの役の憑依っぷりはさすがチョン・ドヨン。

母性も豊かなウニは子供を生んで育てたいと願うが叶わず悲惨な仕打ちを受ける。

ぷつりと豹変したウニがお屋敷に乱入し、生まれたばかりの赤子を我が物顔で抱くのを阻止しようとしたフンの「おでこ」をぺちゃっと一発叩く。小気味よく、空恐ろしく、ここもさすがの、チョン・ドヨン。

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コ夫妻の娘ナミは「人にきちんと接することは自分を高めることでもある。」(ニュアンス違っていると思いますがたしかそのような意味だったかと。)と父フンの教えを守り、新しいメイドのウニと仲良くなる。(正しいことを言っているが、上流社会における「きちんと」の意味って何なのさ?と思えるっすな。)

ヘラの母がウニをわざと階段から落とそうとしたことをちゃんと見ていて「おばさん、ごめんね。」と謝る。無邪気というより無表情に近い演技(?)を淡々と見せたこの子役の女の子は、ドラマ「ドリームハイ」にも出ていた。

年端も行かない子供に「私を忘れないでね」と言いながらあのような衝撃的なラストを目撃させることが、この作品におけるウニさんの復讐劇の最たる意味付けと思われるそんな役を演じるにあたり、いったいどういうふうにあの場面を大人たちから説明され、またどんなふうに理解して臨んだのだろうか、気になる。

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ウニはいなくなり、何事も無かったかのように夫妻に誕生日を祝われる席で、ナミはあらぬ方向を見つめている。もしやウニおばちゃんが手招きでもしているのが見えるのだろうか・・・

私個人としては、衝撃のラストに子供が関わってるところがちょこっと後味が悪い。

同じチョン・ドヨンが若き日のジンモくんと激しい一戦を繰り広げた「ハッピーエンド」のほとんど格闘技かダンスかというような全身全景の(笑)怒涛のえっちシーンに比べたら、肝心なところはたぶんかなりの淫猥なやり取りと思われるセリフの中身と声で妄想させるのが本作のえっち。

この翻訳をかなりソフトにしたのでR15指定なのだと聞いたが、じゃあリアルに翻訳したらR19になるのだろうか??(笑)いつもイベントでお見かけする有名通訳のN女史先生が本作も字幕を監修なさっていたが、いろんなセリフをうまく選んで翻訳せんならんという難しさをつい思いやるmiyukiであった。(監督さんもスキだなあ、まったく。)

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※上はリハーサル中のショット。旦那様はジャージ姿だが、完成したシーンは上半身裸。 旦那様がメイドのウニの寝室に忍んできた…と思ったらあっという間に一戦がはじまる。飛び交うアラレもない台詞の数々。(笑)撮影はとても寒い日だったらしい。

うちのドンゴンさんをして「そういう脚本はみんなイ・ジョンジェに行きました」と言わしめたほどのえっちシーンのオーソリティー、隣の御主人ジョンジェくん。私的にはジョンジェくんのえっち・ざ・ベストは「情事」かなあ・・・。いやしかし、やっぱり「大家」だと思います。カラダといい、声といい。これからもそのお体を大事にして、更なる境地へ挑んでくださいませ。

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2011年6月27日 (月)

久しぶりに日本のドラマでぷち廃人・・・「JIN」

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毎週リアルタイムで真面目に鑑賞していたドラマ「JIN」が終わってしまい、久しぶりに日本のドラマでぷち廃人になった。私などふつうにぬる~~い感じで鑑賞していたので「ぷち」だけれど、世の中の「JIN廃人」はもっと重症のようなのだ。(最終回放送後の公式サイトの書き込みを読んではちょっと貰い泣き、しかし自分では書き込みするまで至らない・・・このへんが「ぷち」たる所以・・・かな?)

どういうわけだか幕末から戦前、昭和初期くらいまでの日本の古い写真を見ると猛然と懐かしく、自分なりに奥深いところで何らかの理由でもあるんでは・・・とも思ったりして、学生時代を過ごした神田川のほとりの昔の写真がタイトルバックに出てくるとなぜかやもたてもたまらなくなるのだ。

ところでmiyukiは10代の終わりころ、幕末歴女をしていた。(というわりにきちんとした歴史背景のことは正しく理解していなかったと思う。汗。)

ご贔屓はといえば幕末きってのイケメン土方さん。(ミーハー^^;)当時とある歴史研究サークルに所属していた縁で、上野寛永寺で旧幕府軍の慰霊祭が営まれた際お手伝いをしたことがあった。戊辰戦争当時旧幕軍だった藩のお殿様のご子孫たちが参列されて、世が世ならお顔もまともに拝めないような立場の小娘が、お寺の奥座敷の控えの間に畏れ多くもご案内したりして、ああ勿体無や恥ずかしや・・・

そのころのご子孫がた、会津松平家のお殿様などたしかに容保公のあのお写真の面影があり、やはり慶喜公のおもざしがしのばれるご子孫徳川さんは「私はここにはほんとうなら居たらいけないのかもしれませんが・・・」と控えめに微笑みながらおっしゃっていたのを思い出す。

JINにもその様子が描かれて重要な場面だったが、上野のお山の彰義隊が死闘を繰り広げた「上野戦争」は幕末もののドラマや映画に必ずと言っていいほど出てくる。寛永寺は芝増上寺とともに徳川家の菩提寺であった。

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◆俳優・大沢たかお主演の人気ドラマ『日曜劇場 JIN-仁-』(後9:00~ TBS系)が26日に最終回を迎え平均視聴率26.1%、瞬間最高視聴率は31.7%を記録した(ビデオリサーチ・関東調べ)。2009年に前作が放送され同じく最終話でクール最高の25.3%を記録し、同年の「ドラマ年間視聴率TOP10」で2位を獲得した人気作。完結編となった今回の最終話で全シリーズを通じて最高平均視聴率をたたき出し、盤石の強さを見せつけた。

【場面写真】内野版“龍馬”など、実力派の俳優陣が登場してきた

 原作はシリーズ累計680万部を超えた村上もとか氏の同名タイトル漫画。天才外科医として現代を生きてきた主人公・南方仁が江戸時代へタイムスリップし、医療器具もままならない時代のなかで“命”の尊さと向き合って行く物語。医術を通して幕末の英雄・坂本龍馬(内野聖陽)らと出会い、自身も激動の歴史の渦に飲み込まれていく仁先生の姿は原作にもひけをとらない、大反響を呼んだ。

 続編となった今回は、前作での全ての謎が解き明かされるとあって、放送前から注目度はダントツ。今年3月に発表した「春ドラマ期待度ランキング」(オリコン調べ)で圧倒的な支持率でトップとなり、初回放送も平均視聴率23.7%と期待値に応えるべく好スタートを切り、堅調な数値をキープしてきた。

 プレッシャーは主演の大沢はもちろん、スタッフ陣も感じてきたことはいうまでもないが、関東では全編平均視聴率が20%を超え、関西地区では初回から最終話まですべての回で20%を上回る好成績。今年は“ドラマ氷河期”ともいわれ、各局では最高視聴率でも20%を超えるヒット作は数えるほどしかないなか、期待に応え有終の美を飾った。(ORICONより)

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現代の外科医、南方仁が見せる治療法に文字通り仰天驚愕する幕末の人々の素直なリアクションと仁先生の奮闘ぶりが面白かった前作から楽しみに見ていたのだが、続編ではタイムスリップの謎と歴史の大事件をどう絡めて出す?というのと世間の期待の大きさや監督さんの交代などの経緯もあり、皆さん相当大変であっただろうと最終回の怒涛の謎解きを見ていて苦労が偲ばれたのだった。

例えば韓ドラの廃人様の(自分を含め)様子などを見ていても思うのだが、重症の廃人を生む要素はひとえに「キャラの立ち具合」にかかっていると言える。JINも例にもれず、大沢たかおさんや綾瀬はるかちゃんのそれぞれのファンの書き込みもあるにはあるのだが、殆どが「仁先生」と「咲ちゃん」の幸せを願い、クライマックスの咲ちゃんの手紙に号泣したらしいその様子、こりゃあの「冬ソナ」ファンと同じ世界なのかも・・・と感じた韓流ファンであった。(冬ソナファンって、ヨン様ジウちゃんというよりミニョンさんとユジン、なんだもんねえ・・・。)

キャラが立ってたといえば内野さんの坂本龍馬もまたすんばらしく、私はあの「せんせえ~~・・・」という言い回しが頭の中でぐるぐるして困っている次第。

そんくらいの廃人を生んだドラマがきょうびの日本にもあったのか、となんとなく嬉しくなると同時にぷち廃人、来週から日曜日に見るものが無くて寂しいことこの上ないのである。

咲ちゃんを演じた綾瀬はるかさんは再来年の大河ドラマで再び幕末から明治を生きたヒロインを演じるそうな。(「江」といい、最近の国営様完全民放の後追いですな。)

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(某コンビニ様ではタイアップの「あんどうなつ」と「揚げ出し豆腐」、「橘家のお弁当」、買って食べました。ミーハーです。ええ。笑。)

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2011年6月17日 (金)

映画「ブラック・スワン」を見た

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※「Happy Together」は全てのレビューにおいてネタバレに配慮しておりません。作品を未見の方で、内容を知りたくない方は充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。(管理人)

ちょこっとご無沙汰致しました。

遅まきながら映画「ブラック・スワン」を観てまいりました。もとバレエ・マニアのココロにはいろんな思いが巡りましたが、この作品の振り付け担当(兼王子様役)のミルピエさんとナタリーさんの間に無事男の子ご誕生とのこと、アカデミー主演女優賞とともに、まずはおめでとうございます。

20代から30代のころ、仕事の合間に山ほどバレエの舞台を鑑賞していました。ダンサーたちの日常にもずいぶん触れる機会があり、そこにあった青春群像といえば、一言で表すと「職人生活」カンパニーに所属していれば、朝レッスン、ちょっとご飯食べてリハーサル、夜舞台・・・世間もものすごく広いわけではなく、毎日が自分の体との対話みたいなかんじといいますか・・・・

さすがにスター・ダンサーともなれば各界とのお付き合いなどもあり世間はもうすこし広かったと思います。フィジカル・エリートな面々とはいえいつもどこかしら体の痛みを引きずっていて何かと大変そうでした。(ステージでは目もくらむ金髪王子も、朝のレッスンは不精髭にズルズルのレッスンスタイルとかね。いやマニアにはそういう姿がまたこよなく美しく見えたものなのでした。)

恋愛事情もメインのお仕事であるバレエを引きずって、狭いところで廻っているかと思えば、反対に一見なぜこの組み合わせ?的な連れ合いがいたり、なんにしても仕事抜きに語れないのはどこのどんな世界の人でも同じなんですね。

演じることで生じる自分の中の「小部屋」そこに好きな家具を入れて自在に屈託なくコーディネイト出来る人もいれば、与えられた部屋を使いこなせない人もいる・・・生まれながらに持ってはいても、今まで自分には見えなかった引き出しを探し出して取っ手を引っ張るということはなかなか難儀なことのようです。ひとつは簡単に開けられても、芸の神様は良くしたもので、また別の難儀を投げてくださる・・・どんなに完璧に見えるスターも、誰も助けてくれない自分との闘いを抱えているのは間違いありません。

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※(あらすじ)ナタリー・ポートマン、ミラ・クニス共演の心理スリラー。ニューヨークのバレエ団に所属するニナ(ポートマン)は、元バレリーナの母とともに、その人生のすべてをダンスに注ぎ込むように生きていた。そんなニナに「白鳥の湖」のプリマを演じるチャンスが巡ってくるが、新人ダンサーのリリー(クニス)が現れ、ニナのライバルとなる。役を争いながらも友情を育む2人だったが、やがてニナは自らの心の闇にのみ込まれていく。監督は「レスラー」のダーレン・アロノフスキー。主演のポートマンが第83回米アカデミー賞で主演女優賞を獲得した。(映画.com)

バレエを扱った作品であると思えば良く知っている者にとってはあれれ??な部分も多少アリ。二ナというキャラクターも今時ありえないようなウブさ、暗さ。ダンサーの生活部分的余白はほとんど描かれていませんが、この映画は「サイコ・スリラー」であると思えばそういうところはなるほどいらないのかもしれません。

それにしても、「白鳥を踊るバレリーナ」のイメージって西洋人にとってもこうなのか、と改めて驚きました。淡いピンクの可愛らしいコートや白いフワフワした羽のごときマフラーを纏い、部屋もピンク、バレリーナのオルゴール・・・これはやはり、父の影無く過剰に娘に接し期待し反応する母親と息苦しいまでに密着して生きて来たというところの多少のデフォルメだったのやもしれませんが。

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そんなウブなお嬢さんが、一大決心黒鳥を演じるための修行(か?)官能の世界に引き込まれ・・・たくてもいいところでブレーキがかかってしまうそのもどかしさよ。自分を解放してやること、これを意識してやろうと思ったら一番大変なのかもしれません。

神経症のようになっていく彼女の描写は「逆ムケ」「爪割れ血だらけ」「寝ている間の引っかき癖」イタイイタイ、痛いったらのオンパレード。黒い羽の出てくる背中の皮膚は「トリ皮」状態(ここ、よく出来てました)。「怖い」というよりワタクシはとにかく「痛い」が先に立ちました。

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二ナが憧れていたスターダンサー、ベスの描写はもっと痛いです。人生からダンスを取ったら何も残らない、しかし引退の時が迫り、自ら車に撥ねられて大けがを負うベス。

彼女にあやかりたくて楽屋からつい持ち出してしまった私物を病院に返しに行った二ナに(こういうエピソードはかえっていじらしく、成長しきれていない未熟さ、世間の狭さを感じさせました。)「私が完璧ですって?私は空っぽなのよ!」と言いながらこれまた痛い自傷シーンを繰り広げたのがあのウィノナ・ライダー。出番は少なかったですが存在感とその痛さはさすがでした。

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バレエ団もダンサーたちも仕切りまくる演出家のトマ(ヴァンサン・カッセル)はあまりに典型的でちょっと笑えました。

もとダンサーの母親と、現役バリバリの娘の葛藤といえば「愛と喝采の日々」をつい思い出しますが、自立しこれから自分の道を切り開いて行く娘の舞台を見守りながら、母が子供を産んだ自分のキャリアを誇りに思う希望に満ちたラストと、この「ブラックスワン」の母娘とは似ているようで別物でしょう。

ブラック・スワンの母親は言いました。
「あなたには無理よ」「役に潰される」(好意的に見れば、このお母さん、娘の限界も分かっていたのでしょうかね。)

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※二ナとは裏表の様に自由奔放なリリーを演じたミラ・クニス。ちょっと前まであのマコーレ・カルキンくんと交際していたんですね。なるほど・・・

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潰される、というより大葛藤の末に取りつかれて黒鳥に成り切り、たった一度の完璧な舞台を演じ終えた二ナの恍惚ともつかない表情は、演じることが生業の人もそうそう何度も味わえないという「アドレナリン大放出」の境地だったのでしょうか。

ナタリー・ポートマンのアカデミー主演女優賞、これはいかにも納得できる結果だと思いました。
ラストの舞台の黒鳥の迫力の姿と映像の美しさ、スタイリッシュさは現代の映画ならではの表現であったかと・・・。

悪魔ロットバルトの娘「黒鳥」とは・・・もともと王子も一目ぼれした白鳥姫オデットと見間違えてまんまと騙されてしまうという設定であるため、一人のバレリーナが踊るその演じ分けが「白鳥の湖」の醍醐味とされ、今ではあたりまえのことになっています。私も別のバレリーナがそれぞれ演じたというのを見たのは考えてみれば殆ど無いかもです。(アクロバティック・白鳥の湖は白鳥と黒鳥別だったなあ。)

王子が黒鳥にプロポーズする前に繰り広げられる第三幕の舞踏会のシーンでのグラン・パ・ド・ドゥ、クライマックスの32回転は有名ですよね。この回転技、グラン・フェッテ・アン・トゥールナンといいます。ダブル・フェッテといって、一回の脚の振りで二回転するのを何回か挟んだり、ここは気力体力、技の見せどころで、ワタクシも過去にすごいのを何度も拝ませてもらいました。

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※シルヴィ・ギエムの白鳥。子供のころにオリンピックの国内予選を突破する体操選手だった彼女のプロフィールでは身長170体重はたしか50㎏くらいだったと記憶。

王子様がまんまと騙されて黒鳥オディールに愛を誓ったとたんに稲妻閃き正体を現すオディールの、その「高笑い」のシーン・・・それがぞっとするほどに心に残っているのは偉大なるプリマ、シルヴィ・ギエムでしょうか。思えばあれはこの映画の描くところのサイコな世界に通じるものがちょっとあったかもしれません。

ギエムさんというひとは、これまたすごい体を持ったプリマでありますが、なんというかもう人を超える異形さと紙一重になることがあって(いい意味で言ってます。すんません。)ほかに誰もあのような姿とテクニックで踊る人は未だ現れないですわ・・・

そのギエムさんの白鳥はそれゆえに「鳥に変えられた姫」そのもので、微動だにしないポアント・ワークや、誰も行きつけないあのポーズを思い出すと、うっとりします。
かつてギエムさんのパートナーを務めることになった日本人の王子様が、監督さんから言われた印象深い話は「チュチュ(衣装のスカートの部分)のどこから脚が上がってくるのか予想できない。普段のパートナーとは常識外れなところから脚が上がるからよく気をつけて。」みたいな・・・

おお・・・なんかちょっち脱線して世紀のプリマ、シルヴィ・ギエムの話になってしまいましたがすまんこってす。ちなみに私が彼女の白鳥を初めて見たのはパリ・オペラ座のエトワールになって間もない19のころ。パートナーはルドルフ・ヌレエフでありました。

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※ブラック・スワンにも短い場面がありましたが、バレリーナは皆自分でリボンやゴムをつけたり、中敷きを半分はがして折り曲げたりと自分の足に合わせてトウシューズをカスタマイズします。カスタマイズ前の新品のシューズはカチンカチンです。写真はトウシューズを新聞紙の上に広げてカスタマイズ中のギエムさん。人間らしいひとコマ。

ブラック・スワンでは「王子と結ばれることが叶わなかった白鳥が身を投げる」という悲劇の結末になっていましたが、オディールに目を眩まされたことを反省した王子と二人で悪魔と戦い愛を成就するというハッピーエンドもあります。(あと、二人で別世界へ行き幸せに暮らしました・・・つう半分ハッピー・エンドも。)

うむ・・・なんだか久しぶりにバレエの舞台が見たくなりましたわ。

ナタリー・ポートマンさんは子供のころにバレエの経験はあるものの今回一年以上の集中レッスンとダイエットによってすっかりダンサー体形に。偉いデス!しかしだいぶ小柄なんでしょうね、マニアとしては手足がもちっと長かったら完璧だあ・・・などと思いながら見ておりました。ダンスシーンのボディ・ダブルを務めた現役のダンサーが「踊りのシーンは私の体(CG合成?)」云々発言してちょっと論争になったようですが、そこは追求しても仕方なしってもんで、何かほかに納得できないことでもあったのでしょうかね。

たしかにバレエのプロになるためには子供のころからの精進が必要ですが、さらにプリマまで行きつくには厳しい条件と苦しい修練+α、「赤い靴」のモイラ・シアラーも、「愛と喝采の日々」のレスリー・ブラウンも、映画に出た当時はプリマというよりソリストくらいの地位であったかと記憶しております。

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※「レオン」のマチルダを演じたナタリー・ポートマン。可愛い。

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※こちらは「スター・ウォーズ」のアミダラ女王。

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2011年3月20日 (日)

映画「戦火の中へ」を見た

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※この映画を見たのは先月末、ドンゴンさんのファンミの直前のことです。ファンミ・レポのあとでアップするつもりで書いてあった感想をアップ致します。しばし悩みましたが、出来るだけいつものスタンスで、いつものブログの運営をして行ければと願う次第です。ファンミ・レポの半端になった分はまた近々に・・・

「私の頭の中の消しゴム」のイ・ジェハン監督、あの「タイフーン」ソムチャイのマブダチ(ふふ)イ・ジェハン監督、ハンサムで、知的で繊細なイ・ジェハン監督・・・とのっけからお名前を連呼してしまったが・・・

この映画が日本で公開になったら見に行こう、と思った理由の大きなひとつはジェハン監督が撮った戦争映画だったから・・・そして朝鮮戦争の逸話の中にしばしば登場する故イ・ウグン学徒兵の有名な「手紙」(詩)が重要なモチーフになっていると知ったからである。

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   ※「戦火の中へ」イ・ジェハン監督

「お母さん
僕は人を殺しました。
それも石垣ひとつ隔てて。」

そう始まる詩(手紙)は戦死した学徒兵の服の中から見つかって、広く世に知られることとなった。「お母さん なぜ戦争をしなければならないのですか?」
そのまっすぐな言葉の鮮烈さ。

かつて映画「ブラザーフッド」の写真集というものがあって(メイキングブックではなく)そこにもたしかこの詩が載っていた。1950年8月11日浦項(ポハン)女子中学の戦闘で命を落としたイ・ウグン学徒兵、当時中学3年生。

例によって近くのシネコンのレディスデイ・・・久しぶりに韓国映画が二本かかっていた。(もう一本は「男たちの挽歌」)ちょっと嬉しくなった。

学徒兵の悲劇であるから、どうしても結末は切ない。どうして、なぜ?という問いかけよりも、「頑張った少年たち」を軸に戦争のある側面を描こうとした作品だと思う。

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戦場のどうにもならない矛盾の前にオトナも、子供も、当たり前だがみな辛かった・・・・主人公をアイドルのT.O.P(チェ・スンヒョン)が演じたことにより、小中学生のアツい反応が得られたのだそうだが、それはジェハン監督の言うところ、T.O.Pくんが精魂込めて作り出した17歳のオ・ジャンボムというキャラクターに、子供たちの追い求める高潔な精神が宿っていたからではないか、いまの子供たちには戦争体験はもとより無いけれど、子供たちの読む本の中の主人公のように正しくて、戦争と言う異常状態に置かれながら最後まで努力し、成長し、リーダーシップを以て皆を率いる姿に共感したのではないかとのこと。

なるほどなあ・・・。

実際、ドラマ「アイリス」の中で演じた冷酷非道、無表情のビッグとは別人かと思う少年っぷりだった。自分を守ってくれた大人の軍人が敵との白兵戦で危機に陥るも、戦闘のすさまじい現実を前にして固まってしまい助けることが出来ず、せめて背負ってと必死に救護所まで辿りついたが、軍人さんは彼の目の前で死んで行く。その手を握りながら詫びたくても礼を言いたくても、声も涙もようよう出ないで途方に暮れるオ・ジャンボム。

身も心も傷ついて痛くても、我慢強く、言葉少なく・・・。

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ああ、男の子ってこうだよなあ・・・そんな姿はウォンビンくんが演じたイ・ジンソクの弟っぷりとはちょっと対極かもしれない。
ジンソクは初めての戦場で兄ちゃんの腕をぎゅっと掴んでいたものだが、そういう兄弟がこの映画でも出てきて、こちらは二人とも学徒兵でもっと幼いかんじでいっそう切なかった。

ツートップというのとはすこしニュアンスが違ったような気がするが、ジャンボムと反目しながら手を取り合うチンピラ少年ガプチョをクォン・サンウくんが演じていた。彼はT.O.Pくんより実際は11歳ちかくも年長であり、プライベートでは一児の父、俳優としてももうベテランであり、演技部分に新鮮な鋭さはさすがに感じられない。が、「チング」のオトナ高校生よろしく学徒兵の格好は見て行くうちにすっかり馴染んでくる。

北に両親を殺された孤児の彼は、少年院へ送られる代わりに仲間とともに志願して浦項女子中学の71人の学徒兵に加わる。
戦争の初期、一気に南へ侵攻してきた北朝鮮軍。片や洛東江(ナクトンガン)を超えられたら釜山から海に飛び込むしか無いという台詞があるほど追いつめられた連合軍は、非武装兵力である学徒兵にわずかな武器を与え一部隊を編成させる。 到底無理無情としか思えない状況の中、学徒兵たちは自力で北朝鮮軍の大人を相手に必死の戦闘を繰り広げる。

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そんなどうしようもない状況の中、無力な学生たちに向かって「自分たちの故郷を守れ」と言うしかない「中間管理職のオトウサン」的な存在が韓国軍大尉カン・ソクテ(キム・スンウ)。対する独特の信念とカリスマ性を放つ人民軍少佐パク・ムラン(チャ・スンウォン)これがまたカッコいいのよ、憎たらしいほど・・・

パク・ムラン少佐は捕虜にした学徒兵に白旗を持たせて中学校の校庭に堂々とジープを乗り付け、ジャンボムたちに告げる。
「お前たちは軍人か?それとも学生か?私がこうしてやってきたのは(撃たないのは)、お前たちがイ・スンマンとアメリカの弾よけにされていると思うからだ。(太極旗でなく)白旗を挙げれば助けてやる。」(うむ、なるほど。納得。)

しかしジャンボムたちはそれを拒絶し学校はすさまじい戦場と化して行く。

ガプチョたちを小僧扱いしていたムランも何やらちょっと深い背景がありそうな人物だったが、このコワモテの大人が静かにキレるところがさすがだった。(コワイ・・・)

チェ・ミンシク先輩がブラザーフッドで演じた人民軍大佐もそうだが、ちょっとカッコイイ象徴的な存在を置きたくなる、当時の人民軍(北朝鮮軍)には実際そんな風に見える軍人がいたのだろうか。

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ブラザーフッドつながりでは、ほかにジンテさんに勲章を受けるくらい働いたらジンソクを除隊させてやろうと言った最初の大隊長を演じていたチェ・ウォ二氏が韓国軍師団長の役を、そして音楽はイ・ドンジュン氏が担当。
ブラザーフッドのカン・ジェギュ監督の視線は、アツい兄弟愛を中心に置きながら実は相当クールであったと今にして思うのだが、今回のジェハン監督の場合も、戦争を描きながらどこかしら抒情的で静かなココロを感じた。静かに、哀れむ心というか・・・

北朝鮮軍が進軍して行く荒れ野のススキ、休耕田に降る光の美しさ、埃にまみれたジャンボムの無表情になった頬にぽろりと落ちる涙・・・

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(注・思い切りネタバレですが・・・)

力の限り戦った少年たちのもとにやっと駆け付けたカン大尉が、もう目線しか動かせなくなったジャンボムをしかと抱いてやるしか無くて「すまない・・・」と呻くように言うシーンは他愛無く泣かされた。わかっちゃあいるが、こういう絵にはからきし弱いmiyukiである。(泣)

そう、戦争は、大人も子供も、皆つらい・・・そのことを考えさせられた作品だった。T.O.Pくんは、天晴れ。これからもちょっと注目したいものである。

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(故イ・ウグン学徒兵の手紙より)

お母さん

もしかすると僕は今日死ぬかもしれません。

あの大勢の敵が

黙って退散するようには思えないからです。

死ぬのが怖いのではなく

お母さんにも兄弟にも、もう会えないと思うと

恐ろしくなるんです。

早く戦争が終わって

お母さんの胸に抱かれたいです。

お母さん

僕は必ず生きて、お母さんのもとに帰ります。

サンチュ包みが食べたいです。

冷たい小さな泉で歯がしびれるほど

冷たい水を思いきり飲みたいです。

ああ!奴らが近付いてきます。

また書きます。

お母さん、さようなら!さようなら!

いや“さようなら”じゃありません。

また書きますから・・・。

それでは・・・。

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2011年1月22日 (土)

ドラマ「ロード・ナンバーワン」を見た

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※「Happy Together」は全てのレビューにおいてネタバレに配慮しておりません。作品を未見の方で、内容を知りたくない方は充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。(管理人)

正月休みにドラマ「ロード・ナンバーワン」を見た。(例によって、録画してくれた友よ、ありがとう^^)昨年の6.25(朝鮮戦争)60周年に合わせて事前に全話制作というスタイルで作られ、満を持して放送された話題作。しかし残念ながら視聴率は振るわなかった。数字的にはそういう結果で、いろんな要因も取り沙汰されたのだが・・・

ジャンウ(ソ・ジゾプ)とスヨン(キム・ハヌル)は幼馴染であり、いつしか互いに恋心を抱くようになる。スヨンの家は所謂良家で、ジャンウは日本で言うところの小作人の家の子。スヨンと妹のスヒのことを「お嬢さん」と呼び、子供のころから何かあれば身を挺してお守りする覚悟を胸に秘め、やがてスヨンの学費を稼ぐためにパルチザン討伐作戦に志願して職業軍人となる。

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ジャンウ戦死の誤報が届き失望するスヨンに、心を寄せていた士官学校出身のエリート、テホ(ユン・ゲサン)が結婚を申し込む。

やがて朝鮮半島の主権を巡って勃発した戦争に半島全土が戦場と化し荒廃する中、ジャンウとスヨンは出会いと別れを繰り返しながら愛を深めて行く。

片やはじめはライバル同士で反目していたジャンウとテホは、同じ第二中隊でともに転戦しながら互いを認め、やがて固い友情の絆を結ぶ。

戦場でしだいに伝説みたいになっていく第二中隊のメンバーの人間模様や戦争の通って行く道筋にあった村々の悲劇交々・・・

201101217 タイトルになっている「ロード・ナンバーワン」・・・国道一号線とは、38度線で分断された象徴的な道。ドラマは開戦から約一年の間を舞台として描いている。

テレビで放送するドラマには映画とはまた違った縛りがあるだろうとは思う。そして戦争を描くと言うことはきょうび、映画もドラマもたぶん、とっても難しい。戦争を振り返ることの大切さは理解できても、日本もそうだけれど、韓国も、不況の世知辛い中いっぱいいっぱいの生活、時代的には遠くなっていく戦争の記憶を振り返る余裕がみんな無いのだ。朝鮮半島では、戦争は終わったわけでなく、「休戦中」なのであり、現在も一触即発の緊張状態が続いているのだけれど。

スクリーンに於ける戦闘シーンの修羅場は昔の戦争映画と比べてある意味恐ろしさを増しているのだが、そういうところのリアルさ追求に依ってしまうことは映画を作るということの深い泥沼みたいなもので、生身の人間を配して何かを演技し表現することが目的なのだから、戦争を物語として描くことはやはり演出をする人の哲学にかかってくるのではないかと不肖miyukiは思う次第である。

今みたいにCGなどの技術が発展しても、それをツールとして操る人間側が目指すところに焦点がちゃんとあってない・・・という作品が最近多く見受けられないだろか。いや、昔見た映画のすべてが傑作だったとはたしかに言えないし、見るこちらもオトナでは無かった故にその辺は自分の中でも正しく比べられるものではないけれど、ツールが少なかった分故か、良くも悪くも言いたいことに焦点は合っていたんではなかろうか。今も心の奥に残っているいくつかの作品のいくつかの場面たち。それによって「世代」が明確に分けられているんだろうなと思う今日この頃なのである。

話がずれてしまった。

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※ヨンチョン面にあるという設定で良く出てくる象徴的な大きな木の下で、主演の3人。

「ロード・ナンバーワン」はアメリカとソ連の代理戦争と言われた朝鮮戦争が舞台。私は「ブラザーフッド」を見て大泣きして以来、この戦争もしくはその時代が舞台になった作品があれば出来る限り見て、私なりにいろいろ考えたいと思って来た。なぜならせめてそうすることは、大好きな韓国の映画やドラマを見る時、俳優さんたちを応援する時に大切な鍵のひとつなんじゃなかろうか、と思ったからなのである。(限界はあろう・・・しかし至らずとも少しでも知ることは大事なんじゃないかと。)

「タイフーン」のシンさんの生い立ちも、「クロッシング」に描かれたことの背景も、絶好調の若手俳優さんたちが活動をいったん中止して兵役に行くということも・・・

例えば「ブラザーフッド」の中にジンテ兄さんの婚約者だったヨンシンが、ただ食べ物の配給を受けようと保導連盟に登録したその署名のために、反共思想に凝り固まった防諜隊のアカ狩りに遭い問答無用に殺されてしまうというエピソードがあった。
この映画を見た当時恥ずかしながら私はそれがどういうことなのかきちんと分かっていなかった。

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※「ブラザーフッド」戦争が起こる前の兄弟のシーン(ちなみに、「ロード・・・」もおなじ富川のオープンセットで街のシーンが撮られている。)

こよなく愛し守ってきた弟を、大極武功勲章を取るほどに働いたら家に帰してやるという約束も守られずに敢え無く国に殺されたと思ったジンテは、約束を破った大隊長を撲殺失踪の後どこをどう辿って行ったのか、共和国軍の旗部隊の隊長になっていた。それを知らされた当の弟ジンソクが「共産主義とか民主主義が何なのかも知らない人です。」と情報将校に言っている台詞の意味・・・。戦争にわけもわからず巻き込まれた市民の混乱や、家族のために生き延びなければと必死に頑張った人々の悲劇の理由を知るなどと、おこがましいことは言ってはいけない気がするけれど。

韓流にハマってかれこれ7年にして少しだけだが、起ったことの背景が解るようになった、かもしれない。

さて、「ロード・ナンバーワン」(やっとこ、本題^^;)
「美しき日々」「天国の階段」のイ・ジャンス監督(主に恋愛関係の場面担当?)、「犬とオオカミの時間」のキム・ジンミン監督(戦場の場面担当)という二人の監督の演出により、制作費130億ウォンをかけ撮られただけあって、十分な気合を感じるドラマであったと思うし、出演者も、カメオ出演したゲストも超豪華。

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ソ・ジソプくんが演じたイ・ジャンウは戦場で戦うことに於いて確固たる説得力とカリスマ性を発揮し、やがて中隊を率いるようになって行く。ジソプくんの男子の色気は恋愛場面ではダダ漏れ、男と男のぶつかる場面でもちょっと切なくなるくらいの魅力である。軍服姿もまた素敵で。

このへん、どうも過去の男性共演者はみんなヤラレルらしく(笑)「カインとアベル」で共演したテファおっぱことシン・ヒョンジュン氏は「生まれかわったらジソプの子供を産みたい」などと発言するし、今回ライバルからアツい友情を結ぶテホを演じたユン・ゲサンくんも「女だったら間違いなく惚れてる」と言うほどで。これがつまり「魔性」なのね?とmiyukiも改めてナットクした次第。
しかしこの色気はじゃんねんながら主人公のティーンエイジャー時代の描写・・・「青い山脈」的サワヤカにはしゃぐ恋愛シーンには収まりきれず、キム・ハヌル嬢の貫禄とも相俟ってちょっと「はじゅかし」かったかも~~~(すんませんすんません。故郷のヨンチョン面の田んぼに転げて泥まみれではしゃぐ二人に「田んぼ・プレイ」などというしょんもない言葉を思い浮かべてしまいましたっ。大汗。)

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※人が良さそうなんだけど、ちょっと居心地わるいかも?のジソプくんの笑顔。ふふふ。「青い山脈」時代の2人ね。

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※ゲサンくんのテホ。下は老後のテホ。(チェ・ブラム先生)

対するユン・ゲサンくんは可愛いイメージを持っていたのだけれど、この作品ではちょっと頑ななまでの「ライバル心」を真面目に演じている。それはスヨンに対する執着だったり、はじめは部下だったジャンウに対する陸士出身の士官のプライドだったり。
ジャンウには「画家になりたかった」というナイーブな一面があって写真の代わりに自身が手帳に一枚一枚丁寧に描き付けたスヨンの姿を支えにしているのだが、戦場での孤独で過酷な葛藤にとうとう心が壊れ、戦争後遺症(PTSD)に苛まれ苦しむ場面に至って、「男子としての芯の強さ」を以てジャンウを支えようとするテホの成長が際立ってきて、なかなかにエエんである。

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※豪華ゲストの皆さん。上段真ん中の韓服はキム・ヨジンさん。第二中隊のメンバーの一人の奥さん役。いやあ、チャングムのチャンドクさんや、イサンの王后さまが別人のような純朴さ。人民軍の大佐に扮しているのはオ・マンソクさん。(右、上から二番目)

伝説の第二中隊にはキャラの立った市井の戦士の皆さんが配され、途中で戦死してしまう最初の中隊長ユン・サムス(チェ・ミンス長老。素敵。)や、俗物のオ・ジョンギ下士(ソン・チャンミンさん。さすが。)など大人の演技が支えている。
ピョンヤンに向かって進撃を続ける第二中隊は、例えばサミュエル・フラー氏の「最前線物語」のなぜか危機を潜り抜けて死なずに生き残って行く四銃士的な描き方をしたかったのかと思われるのだが・・・(だんだんにメンバーが減って行くのが切ない。泣。)

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※老ジャンウ(チャン・ミノ先生)も転役(現役の兵士から予備役になること)のため軍服に。北から戻ってきた時の姿と別人のカッコよさ。

何処に突っ込んで行くやら焦点がずれてしまった、というドラマ評もなんとなく理解出来るところなれど、「ロード・ナンバーワン」青春ドラマとしてのかけらは結構輝いていたんではなかろうかと私は思う。そこらへん、出演者の熱演頼みに見えたかもしれないのがちょっと残念であった。

今は非武装地帯になっている故郷のヨンチョン面に掛るヨンチョン橋の爆破作戦で、ジャンウは行方不明になりテホは重傷を負う。それから長い長い人生の時が流れて最終話・・・。
ジャンウは(北で)生きていて、太極旗を上げた小さな船で海を漂いやっと帰ってくる。戦場だったころが想像もつかないほどに発展したソウルの街に佇み、途方に暮れたような老ジャンウを演じていたのが、誰あろうチャン・ミノ先生・・・「ブラザーフッド」で老ジンソクを演じていたチャン・ミノ先生なのである。
そして、長い戦後を車椅子で生き抜いてきたテホの老後を演じたのはチェ・ブラム先生。じつはお二人、16歳離れているんだそうだ。(ミノ先生のほうが年上。)ミノ先生の抜擢はやはりブラザーフッドのラストの名演の強い印象からなのではなかろうか。
ジンテ兄さんはお骨となって発見されたけれど、ジャンウは帰ってきて、親友と再会するのである。

ウォンビンくんのアブナイ色気、ジャンウのヤバさダダ漏れの色気。ミノ先生の姿になったのを見たとたんに「妄想、すんませんっ!!」と頭を垂れるmiyukiなわけだが、軍服を身に付けた時若い時の姿が鏡の中に蘇るシーンにはやっぱりうるっとなってしまった。

ジソプくん、ゲサンくん、ハヌルちゃん、お疲れさまでした。そして、人生の尊い年輪・・・・ミノ先生、ブラム先生の健康とますますのご活躍をお祈りします。

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2010年11月 2日 (火)

ドラマ「チング・愛と友情の絆」を見た

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原題は「チング・俺たちの伝説」日本で放送するにあたって「愛と友情」にしたかったのもよくわかる。そんくらい全20話コッテリと(いや丁寧に)ドラマ「チング」は70年代後半から90年代はじめの釜山の街への郷愁を背景にして、愛と友情と青春とを描いていた。(録画してくれた友よ、ほんとうにありがとうございました。)

要所要所に映画と同じ場面が出てくる。これはもうキッチリとした意志のもとに為された演出で、ヒョンビンのドンス、キム・ミンジュンのジュンソクに台詞や表情、間合いまでをそっくり再現させている。

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もうじき区画整理で無くなるといわれている干物市場を走り抜け、跨線橋を上って降りて石垣の小路を競争するあのシーンや、当時高校生たちの乱闘シーンをロケした古い映画館は取り壊されてもう無いので、良く似た古い建物の入り口など使って再現する念の入れよう。

そしてジュンソクのお父さんのお葬式の後の、実質二人の道が分かれて行ったあのシーン・・・

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抗争の果てにドンスが刺され、死ぬのだということはおおかたの視聴者は初めから知っていると仮定の上(?)第一話から堂々それは登場し、子供時代と大人の場面が交錯しながら話は進んでいく。

それだけ映画と同じシーンを再現しておきながら、ドラマのドンスとジュンソクは、映画とハッキリ別物だと思った。いやそう思って見るべきだと思った。どちらのバージョンも尊重するために。比べてもつまらないだけなんである。

「チング」にはクァク・キョンテク監督自身が書いた小説がある。
文春文庫から翻訳出版されていたのを映画を見た後に購入して読んだ。映画は極道になった二人の強烈なキャラクターが、演じた俳優の個性・存在感との相乗効果で疾風怒濤の展開に観客を熱く引き入れ、真っ白な光の中へ昇華していくという、改めて鑑賞してみてもまるで強い芳香を放つエッセンスのような作品だった。そして、監督さんのパワー、やはり10年ぶん「若い」。

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映画は二時間余のうちに構築される世界であるから、人物それぞれの背景を丁寧に描いているわけにいかない。じっさい容赦なく突き放したかんじで人物は描かれていたと思う。
小説を読んで改めて納得したりこんな設定だったのかと思ったものだが、とにかく監督の書かれた小説の完成度はものすごく高かった。

極道の世界の駆け引きや抗争からくる人物関係や話の展開に、一般ピープルが付いて行けずによく解らない部分があったというのは本国の観客も同じと見え、いまだに「ほんとうは誰がドンスを殺したんですか?」と監督は訊かれることがあるのだという。
映画の世界のさまざまな困難にあって、無くしたものはいろいろある、健康も害したと話していた監督。「チング」ばかりは自身の自伝的なものでもあり、ドラマ化するなら私がやらなくてはなるまい、そうするべきだと腰をあげたのだそうだ。

201011029 視聴率は爆発的に良かったというわけでもないようだが、「ドラマはやったことが無いので」と監督が言っていた通り、とにかく毎回が映画のごとく凝った演出、凝った映像の濃ゆい積み重ね。とてもじゃないが、軽い気持ちでは楽しめない作りになっている。

映画ではシンプルに暴力団の抗争の世界に絞られていたが、ドラマのほうは政治家とやくざの癒着や、当時の韓国の政策などが窺い知れるもそっと広い部分が描かれる。トレンディでも華やかでも無い硬派な社会派ドラマと言っていいかもしれない。

80年代に三清教育隊という、社会悪一掃、再教育のスローガンのもとに片っ端からやくざ、ならずものを逮捕し放り込んだ矯正部隊があったのだそうだが、ドンスが服役中にさらに揉め事をおこして送られた特殊刑務所の描写などもそのあたりで行われていたと思しき非人道的な怖さを思わせた。

201011025 友情には、映画ではさんざんな扱い(?)だった女子もタップリ絡んでくる。そして、ドンスやジュンソク、チュンホ、サンテクそれぞれの家族の事情も。女子のひとりチンスクはなんつうかモテまくりで、映画と違ってドンスとジュンソクの友情に「萌え」が介在しないのは(笑)俳優さんの個性と言うのもあろうが、この女子たちとの絡みが多いことも大いに関係しているだろう。

「俺たち、遠くまで来過ぎたぞ、戻ろう」
四人の子供が海で浮き輪につかまりながら遊んでいるときに、サンテクが言うこの一言。
大人になるということは、もうおいそれとは道を後戻り出来ないということ・・・その「人生の縦糸」に「友情」という横糸を通してキョンテク監督が織りあげた世界が「チング」なのだと言えよう。

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(注・以下、大いにネタバレしております。)

映画「チング」には影も形もなかったものがいっぱい出てくるドラマ版「チング」もういろいろありすぎて整理もついていない。(笑)
監督、よくここまでオトシマエをつけたものだ。10年の歳月分、監督もさらにオトナになられたのかもしれない。

こうなったらあの「台風」もドラマにしてくれ~~と叫びたいところだが、あればかりはシンとセジョンが別の俳優でいいと思えるまでに私がまだ割り切れてないもんで。(泣)
(そういえば、シンさんがパク・ワンシクを襲って殺すシーンのあと、監督はドンゴンさんに「成長したな」とおっしゃったらしい。)

201011027 とにかく強烈だった映画のドンスとジュンソクに比べ、ヒョンビン・ドンスは妙にクールであり、ほんとうは夢があり、女子ともちゃんと会話する。

キム・ミンジュンさんのジュンソクもオソンさんのように美学を通す男臭さぷんぷんという感じでなく、けっこう悩み深かったりする。この二人の間には、映画版ほどの強烈な劣等感やライバル意識は無いように感じられる。ただ友情を互いに抱きこそすれいろんな事情が重なってだんだんに離れて行くのをドラマ版の二人は丁寧に役と格闘しながら演じていた。

ドルコ(チンスクの従兄弟で映画ではトルコ)が結構暗躍し、ヒョンドゥ親分もウンギも妙に若い。

唯一映画と同じ役を演じて、さらに悪人を極めているのがサンゴンを演じたイ・ジェヨンさん。この役は彼でないと、という監督のオファーだったようだ。このサンゴン親分が、つまり表に出ずに糸を引き、ジュンソクやドンスたちを駒にシナリオを描くんである。ほんとうにムカムカするくらいの悪人っぷり。(このかた、チュモンやイサンでさらに悪いキャラの修行を積んだのね。笑。ほんとうはトボけた面白いかたのようで。)サンゴン故に、ウンギの寝返ったわけをはじめ、なんでああなったのか(ドンス殺害)がよく解るように描かれるのがラスト3話くらいのこと。

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※サンゴン親分のカツラ・パフォーマンスは必見モノ。(爆)刑務所は「素頭」でないと・・・なははは。

ドンスのしょうもないおっかさんも出てくる。チンスクのお父さんというキャラも設定されていて、これをあのシンさんのお父さんをやったチェ・ジウンさんが熱演していた。
ベトナム戦争に従軍しながら、戻っても人生をやり直せず辛い思いをする船乗り。映画のドンスは太い金のネックレスをしていたが、ヒョンビン・ドンスは数珠のようなネックレスをしている。これはチンスクのお父さんがベトナムに行っていたときに現地の部族のひとからもらって大切にしていたもの。チンスクとイイ感じだったときにドンスがもらったものだ。チンスクとドンスが漁船で釜山港をデートするシーンは美しく、思い出すと胸がきゅうっとなる。ヒョンビン・ドンスはドンゴン・ドンスの如く鋭い目力を発揮しないかわりに女子とそんなシーンがあるのだ。

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淡い恋は実らず。しかしドンスは、なな、なんとガールズバンド・レインボーの別のメンバーのウンジちゃんと勢いで一夜を過ごしちゃったりもする。男子なんだなあ。そしてウンジちゃんが連れている子供、あれはドンスの・・・???(驚)いやいやあのドンゴンさんもパパになった今、どこかにいたとしても不思議でないし??

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監督のオトシマエのひとつは、ドンスの死のシーンにジュンソクがいて、彼に「死ぬなよ、生きてまた会おう」と言わせること。(映画版ではドンスはあくまで孤独に一人で死んでいく。)刑務所でのウンギも彼なりにオトシマエをつける。そして、ジュンソクは・・・・

サンテクは記者としてやくざと政治家の癒着を暴くことで、対立を極めて行くドンスとジュンソクの二人を救おうとする。チュンホはずいぶん親父キャラだが友情に対し正直にストレートに奮闘して、いいやつである。

いちばん泣けたのは、すべて済んだあとに子供時代のドンスとジュンソクが、風の吹き抜ける河原の草むらのようなところでぼそぼそと語っているシーン。監督がどんだけこのチングを巡る世界を慈しんで織り上げたのかが伺えたのだった。天晴れ。

クァク・キョンテク監督というひとのすべてが故郷釜山への郷愁と愛から成り立っているとは思わないけれど、私はそこに豊かな才能と情熱のミナモトを感じる、故に監督の作品が愛しいと思い、励まされる。

これからも愛すべきウミガメ・キョンテク監督のご健康とご活躍を祈りつつ・・・・

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