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2009年1月24日 (土)

父の詫び状

P1210111

先週、父を看取り、見送った。
年齢と病気とから、一応の覚悟はあったものの、年末にきゅうにガックリ来て最後の入院をしてからこっち、さすがに心許なく落ち着かない日々が年を跨ぎ、ここへ来てやっと気が抜けたような按配だ。
しかし、世帯主が亡くなると手続きがこんなにもいろいろあるものか、と思う。

P1210124 ふと、向田邦子さんの「父の詫び状」を読み返したくなった。

脚本家として華々しく活躍されていた向田さん初めてのエッセイ集で、一番有名な本かもしれない。
そのなかに、向田さんのお父上がお祖母様の葬儀に焼香にきた社長に、平伏のようなお辞儀をしているのを目撃するというエピソードがあった。どのエッセイだったか忘れていたが、それは「お辞儀」という題であった。

表題の「父の詫び状」とは、家につれて帰った会社の人の粗相を、翌朝後始末している娘の姿を黙って見ていた父上があとで下宿先に送って来た、「此の度は格別のお働き」という朱筆の傍線つきの手紙のことである。

向田さんご自身がお父上とじっさいにどのくらい仲が良かったのか悪かったのかはわからないが、一連の作品の中にある家族のありようや、お勤め人としての父上の内弁慶のお振る舞いあれこれ、私には非常にシンパシーを感じるものだった。うちの父親も、こてこて昭和の高度成長期のサラリーマンだったから。

P1210118 30代で家を出て独立した日、抜けるような秋空に東京オリンピックの開会式の飛行機雲の五輪を見上げたエピソードはこれまたどのエッセイであったろう。
ふとプロフィールを見たら、向田さんはうちの父と同い年だった。健在でおられたなら、ちょっと想像が付かないけれど今年80歳。
飛行機事故で亡くなられた日のことは良く覚えている。私は一人暮らしをはじめたばかりで、ひとさまの仕事の手伝いを泊まりがけでやっていた。所謂アシスタント業。その日も神楽坂にあったセンセイの仕事場へ泊まりの荷物をぶら下げて出勤し、出がけに見た衝撃のニュースの話をセンセイにしたところ、向田さんの大ファンだった徹夜明けのセンセイは愕然としていた。暑い日だった。

やがてどうにか自分の仕事が回りだしたころ、仲良くしてもらっていた年上の同業の先輩(おこがましいけど)が住んでいた根津美術館の先のマンションへ、表参道駅から歩く道すがら、向田さんの住んでおられたマンションを見上げたものだった。バブル景気の真っ最中のことだった。先輩も私も転居し年を重ね、最近はとんとあのへんに出かけることもない。

母が亡くなってこっち、あたりまえのようにいろいろ、父はモロモロの用事を私に託し頼り、そのアタリマエさかげんに腹が立つと、「私はアナタの奥さんじゃありません。」というような文句を容赦なく言ったものだ。じっさい、娘の私ではさぞ、頼りなかったことだろうと思う。
ウチの父親が特に私に「詫び状」を寄越したことは無いのだが、亡くなってから父の去年の手帳を見ていたら、ある日の項に「○○(私の名前)帰り、遅い」と書いてあって、ちょっとつうんとなった。じっさいに帰りを待ちながら書いたわけではなく、「今日は帰りが遅くなるからね。」と私が言い残して出かけたから、そう書いたのだった。

P1210116 Bの私と違って、そういうところは妙に几帳面だった父は、いつもイライラするくらいキッチリした小さな字を書いていた。

父親とは、母親と違って損なものだな、と思う。知っているようで知らないことはたくさんあったけれど、それを全部聞くこともとうとうなかった。父と娘、やっぱりどうしたって似ているのかもしれないが、たいていの娘は否定したがることだろう。

かつて向田さんの一連のエッセイを編んだ久世光彦氏演出のスペシャルドラマのシリーズが、毎年たしかお正月がすぎたあたりに放送されていて楽しみに見ていたものだが、粗相の後始末や、お辞儀のエピソードもそのシリーズの中でひょっとしたらひとつのドラマに盛り込まれていたかもしれない。

“・・・肝心の葬式の悲しみはどこかにけし飛んで、父のお辞儀の姿だけが目に残った。私達に見せないところで、父はこの姿で戦ってきたのだ。(略)

私は今でもこの夜の父の姿を思うと、胸の中でうずくものがある。” 

(「お辞儀」・・・父の詫び状より。)

P1210110 ※父の戒名をつけてくれ、お経をあげにきてくださった菩提寺のご住職は、まだ20代なかばの清清しさだ。先代住職が病気で若死になさったときは、「まさかこの年で自分が喪主になるとは思わなかった。」のだそうだ。祖父母の法事の折り、ランドセルを背負って学校から帰ってきた彼を見た記憶がある。
母の三回忌では、まだ衣のさばき方もちょっとおぼつかない初々しさだったが、このたびはすっかり立派になられて、不謹慎なようだがその張りのある声に聞きほれた。親類たちもお経の声にはおっ??と思ったらしい。お若いものだから、年寄りたちもつい気軽に日ごろいろいろ疑問に思っていることなど質問し、それに気さくに答えてくださる。

坊主頭といってもツルツルに剃り上げているスタイルではなかったので、細面の甲子園球児がストイックなお坊様になり、たまに笑うとあどけない・・・そんなかんじを想像してもらったら良い。
普通なら会社員でも駆け出し、遊びたい盛りみたいな年頃。それを思うと、住職とはなかなか大変な仕事だと思う。焼き場での待ち時間、お饅頭をひとつぽくぽくと召し上がる若いお坊様にちょっと遠い目になった喪主のワタシであった。(どうもすんません・・・)

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miyukiの呟き部屋 (98)」カテゴリの記事

コメント

このたびはご愁傷様です。
心よりお悔やみ申し上げます。

お父様の手帳のお話、読ませていただいて涙が止まりませんでした。

父と娘って似てるんですよね。
うちは性格も似てたから、よく喧嘩をしました。
その反面、一緒に映画を見に行ったり(洋画好きだったので父が)ご飯を食べたりした思い出があります。

だんだん小さくなる背中を見てると、淋しくなったものでした。
そこにいた人がいなくなるって不思議な感覚ですよねweep

いろんな手続き、大変だと思います。
どうぞ無理させませんように…

関係ないお話すみません。
あの…coldsweats02←検索フレーズにちょっとびっくりしてますwobbly

投稿: みゆっち | 2009年1月25日 (日) 01時35分

初めてお邪魔するのがこの日でした。
お父様が天に召され真っ直ぐにお母様の隣に座れるように
私もお祈りいたします。

私も向田さんの書く本が大好きでした。
昭和という時代は起伏の激しいドラマティックな時代でした。
日本人の生活も価値観も一気に裏返してしまうような
変化の連続でしたが
だからこそ向田さんのような女性が素敵な目線と感性で
多くの本を書き残し、
昭和の普通の家庭から流れる
裸電球の暖かさや夕食の懐かしいにおいが胸に甦るのかも。
時代と共に生活様式や考え方は変わるものですが
生きてきた家庭の独特な「時の流れ」は
いつまでも変わらずに残ります。
miyukiさんの中のお父様とお母様がお幸せでありますように。

初めまして。
時々お邪魔させていただいても宜しいでしょうか?

投稿: よっこ | 2009年1月25日 (日) 07時08分

最近お忙しいのかなと思ってたら、まさかお父様を亡くされていたなんて…。
心よりお悔やみ申し上げます。
辛かったでしょうに、その間も何事もなかったかのようにコメントのレスを
されてた事に頭が下がります。どうか、無理をされませんように…。

私も両親が高齢になってきたので、最近ふと「あと何年一緒にいられるのだろう」
と考えることがあります。同居していると、些細な事でついイラ立つことも多く、
後で後悔するのですが、「あと何年…」と考えると、何とも言えない気持ちになり
ます。そう思っていても、なかなか優しくできないのが親子なのかもしれませんね。

父と娘、というと、幸田文さんの娘である青木玉さんの『小石川の家』を思い出し
ます。幸田文さんの父である幸田露伴氏と同居していた頃のエッセイですが…。
玉さんから見れば「祖父と母」ですが、いろんなエピソードの中から露伴氏と文さん
の「父と娘」の関係も垣間見れて興味深かったです。ウチとは全く違う「父と娘」の
カタチでしたが(^^;)。

張り詰めていた気がそろそろ抜けて、体調を崩しやすくなると思います。どうか
お体大切に。ブログの更新は気にしないで下さいね。心身ともに回復されてから、
また元気に再開して下さることをお待ちしています。

投稿: コスタ | 2009年1月25日 (日) 07時09分

carouselponyみゆっちさん、ありがとうございます。
親が弱弱しくなっていくことがちょっと腹立たしかった・・・ってこれもつまりは「甘え」なんですよね。

この年になると、親は親だけど、
親もカンペキなわけではない、と思っているわけです。
しかしやっぱり親は親であると認めざるをえないんですね。

病院通いは母の時のほうが大変で、
父はそういう意味ではちょっと娘孝行だったかも・・・。
みゆっちさんもお母様をこれからもお大事になさいますよう。

検索ワード、ありましたねえ、夕べお名前が。
しかし、今ひとつこの欄のある意味がわかってません~~coldsweats01

投稿: miyuki | 2009年1月25日 (日) 10時23分

sunよっこさん、おはようございます。
ようこそいらっしゃいました。
せっかくの初訪問というのにとんだレビューに
あたってしまいまして、申し訳ありません。
いつもは独断と偏見の韓流その他呟きブログであります。
懲りずにたまに覗いてやってくださいまし。

いろんなことがあった昭和ですが、
今思えば、自分が育ったあの時代は
やっぱり楽しかったんだと今思いますね。
何より今みたいな「先行きの虚無感」て
殆どなかったですもんね。
ことし成人の皆さんは平成生まれだそうですが、
この人たちが思う昭和って、どんなんかなあ、と
想像もつきません。

家庭の周辺も最近はなんだかこじんまりとして、
こういうことに集まってくれる親戚たちも
どんどん少なくなっていくんだな、と
寂しくもあります。

今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: miyuki | 2009年1月25日 (日) 10時31分

japaneseteaコスタさん、ありがとうございます。
ここではあまり私生活を呟いていない分、
コメントにレス入れる時など現実を忘れて
ずいぶん気晴らしになりました。
(現実逃避しっぱなし・・・??coldsweats01あうう・・・)

幸田文さん、青木玉さん、読みました~。
向田さん、曾野綾子さん、三浦綾子さん、林真理子さんなどなど、
女性作家の本ばかり読んでいた時期がありました。
家族だったり、自分自身だったり、
向き合うものは皆さんいろいろなんですが、
向き合いながら考え抜いたことが作品になっているんだなあ、と思ったものです。
そのへん、男性作家にはあまり見られないスタンスですかね。

親が元気なうちは、どうもなかなか優しくなれんもんです。
へたに優しくなったりしたら何かあるのか?と
誤解されそうだったり、柄でもないや、と思ったり。(笑)
うまくいかないもんです。

さてさて、次回からはいつものペースに戻りますので
よろしくお願いいたします^^

投稿: miyuki | 2009年1月25日 (日) 10時52分

miyukiさん
この度はご愁傷様でございます

人が亡くなるってなかなか事務手続きひとつとっても
大変なことですよね・・・・
お疲れでしょうが、手続き等がんばって行動をとってくださいね、私もなんやかんやで大変でした。
(公共料金の名義人変更とか1つとっても面倒です・・・・)

「父の詫び状」はむか~し読みました。
侘びなんて全然私にはかけてくれない「昭和一けた世代」の父でした・・・・・

投稿: あまみつつき | 2009年1月25日 (日) 12時56分

miyukiさん

心からお悔やみ申し上げます
このところ「私事で慌ただしい」というようなことを書かれていたので
悪いことじゃないといいなと思っていましたが…本当にお疲れさまでした

そんな折に何事もなかったかのように更新やらコメントやら
コスタさんも書かれていましたが全く頭が下がります
やっぱりどこまでいっても男前なんですね、miyukiさん

自分が渦中にいたときのあれこれを思い出すと
茫然としながらも妙に冷静で(しっかりしないといけないという使命感ですかね)
すべてがリアルでありながらどこかぼんやりしていたような感じです

あるべき方向に向けて、すべてが「澄んでいく」感覚といいましょうか
それに対して自分は全く無力でただただ受け身になるしかない、みたいな…
スイッチがちょっと異次元に切り替わってるような感じでした

本当の痛みはずっと後になってからふとした瞬間にやってくるんですよね
そのときに思いっきり悲しんでおかなかったツケなのか
未だにいきなりグッとアブない瞬間が来るので困っちゃいます coldsweats01

2月、3月と、どきどき胸騒ぎ(&爆笑?)のイベントが続きますので
どうか思いっきり楽しんでくださいね heart02dogheart02

投稿: 翡翠 | 2009年1月25日 (日) 16時40分

chairこんにちは。
ろう梅はmiyukiさんのお庭の木ですか?
臈長けた美と香り高い花は、この記事にふさわしいかと。
私は、まだ喪主を務めたことがありませんが5年間くらいの間に、祖母、姑、父を見送った時期がありました。葬儀や葬儀後のたいへんさはよく分かります。49日を過ぎれば相続の問題も正式になってくるし・・・。
父や祖母の葬儀にはお坊様が5人で勤めてくれました。(3人~5人がこの辺の習わしなんです)菩提寺のおっさまが(これもこちらではこう呼びます)一番若くその頃教員もされていました。
お母様である先代のご住職の奥様ともども考えて戒名なども付けてくれましたが、祖母の戒名はとても綺麗で気に入っています。
姑は次兄宅の横浜で倒れ亡くなりましたので、横浜で密葬、実家で本葬と2度葬儀がありました。
私の勤務先からは(もちろん主人の勤務先からもですが)、遠い所2度も参列して頂いて恐縮しましたっけ。
miyukiさん、お体ご自愛下さいね。
アイコンの椅子は、今も置いてある父の愛用だった椅子を偲んでみました。
miyukiさんにもお父様の愛用だった思い出の品たくさんおありでしょうねえ・・・。

投稿: sakura | 2009年1月25日 (日) 17時08分

carouselponyあまみつつきさん、こんにちは。
そうなんです、先週からこっち、
あれもこれも名義変更かい・・・と
なかば驚きつつ連絡手続きの日々です。

母の時はそんな記憶が無いのですが
今回驚いたのが、葬儀後の営業の多さ。
(仏壇仏具と、香典返しのギフト屋さん。)
世の中、仕事としては営業もいた仕方なしなんだとは
思いますが。やれやれ。

あまみつつきさんもひととおり越えられたんですね。
私もボケないようぼちぼちシッカリ頑張ります。

投稿: miyuki | 2009年1月25日 (日) 17時17分

dog翡翠さん、ありがとうございます。
いやあ・・・自分のことを直にネタにするのは
どうもかえって難しくてですね・・・(汗)
翡翠さんもすでに経験なすってましたか。

去年急に父親を亡くした従妹は、珍しく父娘がとても
仲良かったことや、死に目に会えなかったこともあって
人目も憚らずに嘆いておりましたが、
私はちょっと羨ましくもありました。

病気で告知されると、それに添って起こって来ることを
ひとつひとつ受け入れて行くしかないということもありますよね。

すっかり涙脆くなりましたが、
出るときと出ないときが確かにありますです。
2月、3月、時々現実逃避しつつ、
ぼちぼち行こうと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: miyuki | 2009年1月25日 (日) 17時59分

winesakuraさん、ありがとうございます。
父はお酒が好きだったので、それだけは欠かさずお供えですかね。

ろう梅はうちの玄関先に母が植えたものです。
いい香りがしますよね。
記事に添える写真が無いのでお天気が良くなかったのですが
撮ってみました。

祖父母の時は一年おきに亡くなったので、
毎年法事が続いた時期がありました。
うちは夏の葬儀が多くて、こんな寒い時期は
夏の葬儀に懲りていた父が選んだのかな、とか
思ったりして・・・。

うちはもともと家が東京の出なので
今住んでいるご近所ともちょっとしきたりが異なっているようです
(このへん、けっこう古い風習残っているかも。)
sakuraさんのお住まいのところも昔ながらの決まりごとが
守られているのでしょうね。

住職が、今はお寺さんだけで生活が成り立っている
僧侶のほうが少ないかも、とおっしゃってたのが
印象に残っています。
人生のイベントごと、つつがなく行えることも
いまの世の中幸せなんだろうなあ、と思います。

父の唯一の趣味は「ハワイアン」でありました。
ウクレレとかスチールギターが残っております。
斎場での演奏もそれでお願いしましたが、
うまいことアレンジしていただいた「ブルーハワイ」を
聞いた時にはちょっとハナミズが垂れそうになりました。
(すみません^^;)

JDGのファンミに出かけるのはいい気晴らしになりそうな
気配です。

投稿: miyuki | 2009年1月25日 (日) 18時21分

こんばんは~!miyukiさん♪

お父様のこと・・・ご愁傷様ですm(u u)m ・・・なにも言えません(T T)

どうぞ・どうぞ、お疲れがでませんように・・・

投稿: AKIRA | 2009年1月25日 (日) 21時24分

miyukiさん、
心からお悔やみ申し上げます。

miyukiさんが、ブログを始められてからの数年の間にご両親を見送られることになったのですね。私の翡翠さん同様、このところなんとなく感じるものがあり、心配しておりました。

ブログの最初の花は、良い香りのする小さい水仙でしょうか。梅、木蓮(あるいはコブシ?)、蝋梅と、きれいですね。庭や家って、家族のなにげない思い出が積み重なっていて、ふとした時に寂しさをつのらせたり、心を温めてくれたり。
向田作品もそんなところがありました。

お正月に放送された向田作品のテーマ音楽は、ランゲの「花の歌」というのですが、それを聴くと、私は娘でいた頃の自分の家を思い出して、幸せな気持ちになります。ピアノを習っていた娘の腕がその曲を弾けるようになった時、発表会の曲に、と弾かせてしまったくらいです。

YouTubeで「花の歌」の演奏を見つけました。たくさんの人が演奏していますが、これが一番心静かに聞ける気がして。
http://jp.youtube.com/watch?v=MNnvLIEe5c0

お父様、ハワイアンがご趣味とはハイカラな方だったんですね。お母様とともに、花々に囲まれて穏やかに眠れますようcherryblossom

投稿: 秀子 | 2009年1月25日 (日) 22時26分

心からお悔やみ申し上げます。

寒い日が続きますがお風邪などひかないように
お気をつけください。

投稿: なみ | 2009年1月25日 (日) 22時43分

carouselponyAKIRAさん、こんばんは。
ありがとうございます。
毎日やっとぐっすり眠れています。
それでも眠くてしょうがない???^^;

投稿: miyuki | 2009年1月26日 (月) 00時41分

cute秀子さん、「花の歌」は懐かしいですネ。
私も子供の頃ちょっとピアノ習ったので
この曲は憧れでありました。

水仙は、じっさいはとっても小さいものです。
産毛の芽は木蓮、この木は大きくなりすぎまして。
デジカメのマクロで撮ると、
ウチの庭の地味な花でも
なんだか立派なモデルさんのようです。

大学の時、アロハシャツ着て
バンドやってたようですよ。
ハワイアンのハナシには殆ど付き合ってやりませんでしたが。
私は楽器は殆ど弾けません。
小学校の時の鼓笛隊ではなぜか小太鼓でしたが、
あれは苦行だったなあ・・・(遠い目。)

投稿: miyuki | 2009年1月26日 (月) 01時06分

snowなみさん、こんばんは。
本当に寒いですね。
こちら、この冬はまだ雪は降っておりませんが
毎日手がかじかんで。

インフルエンザがだいぶ蔓延していますね。
皆様もお気をつけて・・・

投稿: miyuki | 2009年1月26日 (月) 01時09分

遠く離れた年老いた父のこと
父と色々話したいのに話せない思い・・・・
きっといつか後悔するだろうな・・・
 そんなことを思いました。。。
お疲れ様でした

投稿: deko | 2009年1月26日 (月) 08時57分

sunおはようございます。
お忙しいのだと思っていましたので、お父様のこと驚きました。
大変でしたね。 お疲れ様でした。
でも、さすがはしっかり者のmiyukiさん。
ちゃんとお父様らしく送り出されたご様子、感心しました。
最高の親孝行ができたのではありませんか。
同じ頃、実父も初めての大きな手術で入院していて
K市の病院まで日参していました。
いつまでも元気でいて欲しいのは当たり前ですが、
やはり考えておかなければならない事ってありますね。
暖かくなってきた頃、本当の意味で一段落されるのかもしれません。
くれぐれも体調を崩されませんように。

とてもハイカラなお父様、『モボ』とでもいうのでしょうか。
父も中折れ帽やポケットチーフにこだわるオシャレな人なので、
なんだか似た雰囲気を感じてしまいます。
そしてそのお父様から生まれたmiyukiさん。
分野は違えどもどちらも芸術に精通されていて、やはり親子ですね。
こんな素敵な女性を世に送り出して下さったこと、感謝です^^。

若いお坊さんの観察までぬかりなくしている様子、
miyukiさんらしくて不謹慎にも『フフフ…』と思ってしまいました。
小学校の同級生に近くのお寺の跡取り息子がいました。
ちょっとカッコイイのに生意気だったのでいつも喧嘩ばかり、
仏教系の学校に行くために中学からは別々になってしまいましたが
誕生日が一週間違いなので、今でも思い出すことがあります。
実はお互いに気になっていたのかも…な~んてね(笑)。

投稿: スワロ | 2009年1月26日 (月) 11時02分

sundekoさん、こんにちは。ありがとうございます。
全部ではなくとも、聞く機会はあると思います。
私もありました。
病気のおかげ、というと語弊があるかもしれませんが
これも「時機がある」ことなんだろうな、と
感じました。

しかし、親の年数えれば、自分もシッカリ年なんですよね~。
とほほ^^;;;

投稿: miyuki | 2009年1月26日 (月) 13時13分

carouselponyスワロさんも、病院通い大変だったんですね。
病院はうっかりするとエネルギー吸い取られて
ちょっとヘロヘロになりますよね。
お父様、順調に回復されてますか?

今でもたまにきちんと中折れ帽被っている
お年寄りを見かけることはありますが、
昔のひとって、ちゃんとお出かけスタイルが
ありましたよね。
父はとくにお洒落な人ではありませんでしたが、
ヘンなこだわりはありました。
それがまた、変えられないのね。^^;

母方の菩提寺のご住職は、50代の時亡くなった
伯父の同級生で、
友の通夜のお経を詠んだあと、お話しするときに
殆ど泣いておられました。
スワロさんの同級生も今はきっと立派なご住職ですね。

うちの若いご住職も、これからどこかのお寺のお嬢さんと
お見合いなんかして、30過ぎたらちょっと
渋くなって、その頃私は何してるだろうか、
などとふと考えてしまいますわ~。

お父様、どうぞお大事に。

投稿: miyuki | 2009年1月26日 (月) 13時26分

miyukiさま
 こんなハイテクの世の中になって、なんで天国にはmobilephone℡がつながらないんだろうと思ったりします。
葬儀の中であぁ逝ってしまったんだな...と実感したのは
灰になって出てきた瞬間でした。

私はつれ合いに、この日だけは娘に戻らせて欲しいと頼み
その日は幼い子どもの母であることからお暇をいただきましたが、喪主をされるのはさぞかしとても大変だったことでしょう。

お疲れ様です。

落ち着いたら、是非娘としてのお別れもなさってください。

あっけなく逝ってしまった父でしたので、葬儀の前の晩には同じ部屋で休み、どこかにまだいるんじゃなかろうかと写真なども撮ってみましたが、本人は心残りなく成仏したようで、なんの片鱗もありませんでした。

見送ってからはや2桁の時を重ねましたが、いまだに何かあると、父ならなんというだろうか?と思ってみたり、時には墓前に告げ口してみたりcoldsweats02

もう逢えないのは悲しいことですが、たぶん天国でお母さまとお二人、
「オヤオヤ...らしいわね~」と見守ってくださることでしょう。

これからも数年、法事の仕切りなどhouse、大変なお役目がありますが、どいぞお元気で、ドンゴンさんの息抜きを楽しませてくださいませ

投稿: GTO | 2009年1月26日 (月) 13時33分

carouselponyGTOさん、こんにちは。ありがとうございます。
GTOさんはお父様ととても仲良くてらしたんですね。

私の父も、闘病の時間はたしかに大変な思いもしたものの、
やっぱりあっけなかったような気がします。
ふといろんなことを思い出しますが、
考えすぎないようにもしております。
日々、時間だけは流れますね。

私と性格やもの言いが(余計なことを余計な時にぶっすりと言う。汗。)かなり似ていたとされる母は
ちゃんと迎えに来てやったのだろうか・・・
母のほうはともかく、父のほうは寂しがっていましたから。

連れ合いに先立たれた親類の叔母さんも、
今は以前よりむしろ元気、
女って強いですね~。

しばらくいろいろの用事を片付けなければならず、
時々思わずこころのうちで文句垂れておりますが、
ぼちぼちマイペースで
行かせて貰おうと思います。

投稿: miyuki | 2009年1月26日 (月) 14時34分

この度はご愁傷様です。
心よりお悔やみ申し上げます。

あ~、こういう時、何を書いていいか分からない…。
えーと、えーと、お父様のようなケンカ相手にはなりませんが、「あんたの奥さんじゃないっ!」と言わせることは可能かもしれません。暇つぶしの茶飲みぐらいいつでも付き合いますんで、腹立てたくなったら一声かけてください。

投稿: おこじょん | 2009年1月26日 (月) 19時05分

miyukiさん、こんばんは。
たった今知りました・・・
心よりお悔やみ申し上げます。

いろいろ大変な思いされていたのに、
知らなくてごめんなさいね・・・
胸がつまってしまって、言葉が見つかりません・・・

お疲れが出て風邪などひかれませんように
どうか、お体大切になさって下さいね。

投稿: みつこ | 2009年1月26日 (月) 21時01分

tulipおこちゃん、ありがとうね。
男子ナおこちゃん面目躍如なのね、ふふふ。

私の世代からあとの日本の老後がしみじみ心配な今日この頃。
せめてカラダでも鍛えておかないと・・・と
思うんですがね。
あ~~・・・車はいったいいくつまで運転出来るかなあ。

投稿: miyuki | 2009年1月26日 (月) 22時44分

nightみつこさん、こんばんは。
いえいえ、ここにレス入れたりすることは
上のほうにも書きましたが
いい気晴らしだったし
励みにもなりました。

ありがとうございます。
本人、脳天気にしてますので、
またいつものペースで突っ込んでくださいましね。

投稿: miyuki | 2009年1月26日 (月) 22時48分

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