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2006年12月

2006年12月30日 (土)

もうすぐ開設一年・ありがとうございました

【Written by miyuki】

あっという間に年が変わろうとしている。良いことも悪いことも、年末年始の喧騒に雪崩れ込んで、終わった気分になったり、一時棚上げしてみたり。特別大掃除なんてしなくても、死にゃしませんてば・・・などとうそぶいてはみても、一日本人としては、目に見えない線がきっちり引いてあるような大晦日のケジメがやっぱりちょっとは「後ろめたいで~~すッ!!」
かくいうmiyukiは、1999年から2000年の年越しを、インフルエンザから肺炎になって入院した病院で、風呂にも入れず髪も洗えず、ろくなモンも食べられずに過ごした情けない思い出がある。普段からケジメがきちんとしていない女にバチがあたったのかもしれない。「自分だけには起こらないと思っていても、何が起こるのかワカラナイのが人生だよね」と2日前行った美容院で、毒舌の店長が珍しく呟いていた。どうしたのかと思ったら、江原某氏の「天国からの手紙」を見たらしい。なるほど・・・・。

バチがあたってそんな思いをしたくせに、「いつ何があってもいいように生きる」なんてことはお恥ずかしい話だが、やっぱり実践出来ていない。「何があってもいいように一生懸命その時を努力して生きる」と語っていたRainくんのツメの垢でも頂きたいものだ。懲りないB女も、そろそろ「呆け」の心配が必要な年頃、もう残りのほうが少ないもんね、と改めて気づかされ、「ひょおおッ」となった。来年こそ、もうすこしちゃんと生きよう。(少なくとも、今だけでも、まじめにそう思っております。へへへ・・・)

Jdg200612_2今年最後なので、未公開ジオダノ広告写真から、去年の夏の美しいJDGを。隣はトトさんでないのよ。(先生、お借りしました、感謝です。)
さて、このブログがtartanさんによって開設されてから、早いものでもうすぐ一年になろうとしている。情報が早いわけでもなく、勝手にいろいろ呟いているだけというのに毎度お付き合いくださり暖かいコメントを入れていただき、ほんとうにありがとうございます。
せっかく見たのに来年に持ち越しそうな「武士の一分」「硫黄島からの手紙」・・・という状況からもお分かりのとおり、あまりにもマイペースな更新具合。可愛いJDG関連にても、ちょっとしたニュースにてひとつのレビューが立てられるほどの元気もないヘタレ・ファン。「毎日更新が人気の秘訣」「交流すること命」というブログがあまた存在する中、あまりにも愛想のないことですが、来年もよろしくお願いいたします。

この12月にもちょこちょこ聞こえてきたJDGの動向を少し。どこにいるのかと思ったら、お友達のジンモくんのクリスマスシーズンデートムービー(か?)「美女はつらいの」の試写会に現れたのが12月はじめ。年末か、来年初めにも新しい映画のことを発表できると思う、とマネージャーさんは発言していたらしい(by 韓ブロ)。ハリウッド作品とも、韓国の作品の脚本の良いものが来ているので迷っているとも言われているのだが。

Jdg2006123_2Rain(ピ)くんはさらに髪が短くなって今は殆どモヒカン。右はインタビューに答えているヒョンビンくん。
可愛い舎弟のヒョンビンくんのドラマ「雪の女王」の撮影現場に現れて、「スタッフも平常心を保てないほど驚いた」というのが、今年の青龍映画賞の授賞式が行われていた15日のこと。どうやらJDGはじめ、婆ややスンウ兄さんら「プレーボーイズ」のメンバー揃ってヒョンビンくんに対してはまるで、「自分が一番面倒見ている」と思っている(?)親戚のオヂサン状態。携帯にメールくれたり、ひとこと「薀蓄」したり。(爆)
ヒョンビンくんといえば、昨日今年最後の忘年会に出かけた帰りに日比谷線恵比寿駅のホームにある「百万長者の初恋」の大きな看板を見た。この映画や、ドラマ「アイルランド」のグク、「私の名前はキム・サムスン」のサムシクのころとは最近彼もちょっと面影が変わったような気がする。兄貴JDGみたいな無精ひげを生やしたり、ドラマの役柄のせいで必要なさそうなのにダイエットもしたようで。
「ふうん・・・」と看板の前に立っていたら、隣に「例によっての韓流大好きオーラ」を纏ったお姐さまがやってきて、舐めんばかりに看板を眺め出したので、反射的にその場を離れる私であった。(笑)
この「雪の女王」のロケツアーというのもあって日本から例によってファンがたくさん参加したらしいのだが、これまた例によって一部道をハズレてしまった方々もいたと洩れ聞こえてきた。・・・・しょうがないねえ、まったく(苦笑)。この手の話題は結局尽きない、韓流日本の現状ではある。

ソン・スンホン氏除隊お迎えおよびファンミツアーと、済州島・韓流エキスポオープニング(ヨン様出席)ツアーの高額には驚いた。みんなずっとお金を出し続けるのだろうか。ウチのJDGがファンと交流するために毎年ソウルで催されていた誕生日ファンミーティング。来年は日本武道館で開催と発表になり、日本のファンを喜ばせたが、韓国のファンの都合を思うと、ちょっと申し訳なくもあるし、開催に関してはまだちょっといろいろ気が抜けない気もする。数あるぼったくり前例の中、「あのJDGが無料招待のファンミ」というところがミソなわけだが、「日本で開催」というからにはもう「ファンと交流」というより、日本向けのプロモ活動と言ったほうがいいのかもしれない。それまでには、新しい映画のこともさすがに決まっていることだろう。

Jdg2006122_2大きな目が寄る、眉毛も下がる。(笑)どっか緩んでてもファンにはむちゃ可愛い任天堂CM。
※20日韓国任天堂はチャン・ドンゴンをモデルに起用した理由で「年齢、 性別に構わずに幅広い大衆に人気があり、普段ゲームを楽しむようではない人々の代表のイメージがあって広告効果が大きいようで、今度キャンペーンモデルに起用した」と伝えた。(朝鮮日報)

JDG憧れの(そう発言暦あり)あの松嶋菜々子さまも以前CMに出ていた任天堂DSの「脳トレーニング」(すんません、ゲームに興味のない私め、正式名称がイマイチわかりません。)と、「えいご漬け」CMが一番最近のJDGのお仕事である。イメージはさておき、ファンはいつも持ち歩いている黒リュックの中にすでにひとつゲーム機が入っており、実は彼がゲーム好きなことを知っている。内容が明らかになり、ファンが「脳年齢58歳」と言われ脱力するちょっとフニャな姿にツボをくすぐられている頃、本人はまたぞろアメリカへ「休暇旅行」同行はスンウ兄さんご夫妻。(たぶんリュックにはゲーム機が二つ・・・)
ラスベガスではこれまた可愛い舎弟Rainくんのワールドツアーの舞台に応援に駆けつけたらしい。(やっぱりここでも殆ど父兄のノリかな・・・^^;;)

前作「台風」クランクアップから早1年半。やっと次作品の話で盛り上がれる日も近いと思うと、いろいろあってもまずは目出度い。頑張れ!JDG。

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ドラマ「のだめカンタービレ」の最終回、視聴率は20%を超えたらしい。原作漫画のほうを知らない乗り遅れもんなので、迂闊なことを言えないのだが、玉木くん、最後の指揮でマジ泣きしていたような・・・?最初のほうで「オイオイ・・」だった指揮っぷりもだいぶ上手くなっていたもんねえ。マニアの間では、演奏会のシーンのエキストラ参加に命掛けてって話もあって、どこのファンも一緒ですな。

音楽好きのtartan姉さんが送ってくれた「のだめオーケストラ」LIVE! のCDをグルグル聴いていたこの年末である。
・・・・で、のだめが千秋先輩に感じていたと思しきことや、ミルヒー(笑)シュトレーゼマンの語っていたことからしきりと思い出されるのはある指揮者のこと・・・。

カルロス・クライバー(1930-2004)。この怪しげでハンサムなおっちゃんの指揮する姿をひとたび見ると、「中毒」になる。昔締め切り持ち生活をしていたころ、来日したこのおっちゃんの指揮する姿を、仕事を手伝いに来てくれていた友とたまたまTVで見てしまって、文字通り釘付けになった。実際演奏を聴きに言ったら殆ど見ているのは後姿なわけだが、TVの映像だから、画面では当然顔の表情まで良くわかる。その姿は、観客のみならず、演奏家も惹きつけて止まなかったと言われている通りに、オケと指揮者のうっとりするような色鮮やかでスリリングな「交感」風景だった。(のだめの中の台詞で曰く、「音がまぐわう」その感じ?)その時の映像で指揮していたのが、まさにベートーベンの7番だった。私より病が深かった友はのちにふたたび来日したときに演奏を聴きに行っていたが、もともと演奏回数の少なかったおっさんのこと、今おもえば私も生を聴きにいておくのだった・・・。残念。かのカラヤン先生も、クライバー氏のことを「真の天才」と称している。
miyukiは役者さんでもダンサーでも指揮者でも、「なんか出てる」がより濃い人が好物なんである。来年もココロの赴くままに、「なんか出てる」を追求したいものである。

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2006年12月16日 (土)

ようやく『王の男』^^

※「Happy Together」は全てのレビューにおいてネタバレに配慮しておりません。作品を未見の方で、内容を知りたくない方は充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。(管理人)

【Written by tartan】

『手紙』と同じ日に、実は『王の男』も観た。朝から夕方まで座っていて、メタボリック・・・でなくてエコノミークラス症候群になりそうだと思ったら、やはり翌日腰が痛かった(笑)やれやれ。
『王の男』に関して、Happyではすでにmiyukiひょんの立派なヽ(^o^)丿レビューがある。なので詳細はそちらをご覧になって頂くとして、tartanは独自の、これまたヒジョーに偏りまくった感想を述べてみたい。
総じてよく出来た映画だった。映像もきれいだったし。しかし、何なのだろうか、微妙~に痒いところに手が届かない・・・・そんなむずむずが残ってしまった。この「孫の手ジュセヨ~」感の原因は(笑)一体何なのだろうと、ひとりつらつら考える。

Ounootoko_1_1パンフ。美しいジュンギ君。
この映画の骨子は、旅芸人のチャンセン(カム・ウソン)と コンギル(イ・ジュンギ)、それから燕山王(チョン・ジニョン)、この三人の心理的三角関係である。「心理的」としたのは、決して三人が真性の同性愛者ではないからだ。この辺りに、この物語の微妙に描き切れなかった部分が隠されているとtartanは感じた。
まず、主役の一人チャンセン。
う~ん・・・残念なことに今回のキャスティングで一番「ちょっとなぁ・・」だったのが彼、カム・ウソン。コンギルを己の命より大切に思っている気持ちというのが、イマイチ中途半端にしか伝わって来ない。コンギルに向ける眼差しが、友情なのか保護欲なのか性愛なのか独占欲なのか、どうもはっきりしない。男同士の友情と独占欲が見事なまでに描かれている作品のひとつに『チング』があるが、あのジュンソクとドンスの空気さえ沁みるような心のヒリヒリ感というのは、残念ながらチャンセンとコンギルからは感じられなかった。王の暴君ぶりに、真っ向対立するほどの勢いもない。かと言って、コンギルをこっそり連れて逃げるほどの勇気もないチャンセン。そういう演技を要求されたのか、それともカム・ウソンという俳優がそうなのか・・・・ただ「大事に思っている」という演技では、どうもなあ(^_^;)
んじゃ同性愛なの?というと、どうもそうでもなさそう。演じたご本人が「同性愛ではない」と明言しているだけあって、確かにあちらの世界独特の淫靡な雰囲気というのは徹底的に排除されており、彼がコンギルを見詰める瞳は、ただただ真摯にまっすぐに、「守りたい仲間」というだけだ。

Ounootoko_2燕山王・・・最高っす^^
では一方のコンギルはというと・・・・
美貌の青年というこの役、イ・ジュンギ以外に誰がやれただろう。考えても考えても誰も思い浮かばない。それほどのはまり役だった。男でありながら一座のために身体を売ることを余儀なくされている薄幸の美青年。うむ、ビジュアル的に実にぴったりである。
コンギルは多分、早い時期からチャンセンに対して恋愛感情に近い思慕を抱いていたと推測される。都へ来る以前コンギルは一座の親方を殺した。身体を売れと言われても黙って従ったおとなしいコンギルだったが、ある日親方がチャンセンの足を折ろうとしたのを見て突如牙をむく。「二度と芸ができなくしてやる」という一言を聞き、コンギルは親方を殺める。河原で、自分の仕出かしたことの重大さに震えるコンギルの顔に飛び散った返り血を、チャンセンがそっと拭いてやるシーンが、tartanとても好きだ。チャンセンがいれば自分はどこへ行っても大丈夫。きっとその時コンギルは思ったに違いない。
しかし、コンギルのチャンセンに対する思いもそこまで。miyukiひょんも指摘していたが、ジュンギ君もまた、そのあたりの感情を抑え気味に演技していたように感じられた。

Ounootoko_3友情か、はたまた愛なのか・・・うむ
では燕山王はどうか。
正に今回「主役を食った」と言ってもよいほど、素晴らしい演技だったチョン・ジニョン(笑) 正気と狂気のぎりぎりのところで踏みとどまっている切なさを、実に上手く演じていた。トラウマを抱え、孤独に耐え続ける姿は『ラストエンペラー』を彷彿とさせる。(ジョン・ローン・・・好きだった(*^_^*))
燕山王がコンギルにぽっぽしちゃったことから、すわ「同性愛?」となったらしいが、何だろうなあ・・・miyukiひょんのレビューを読んでちょっと楽しみにしていたのに(爆)、正直カクッとなってしまった。「こんだけか?」と(笑) あんなのは同性愛でもなんでもないっす。チャン(tartan家次男・小学生)がtartanにチュッとするのと同じである。寂しくて、やり切れなくて、誰でもいいから傍にいて欲しくて思わず・・・なシーンでしょうよ。確かにコンギルの美しさに、相手が男だということを失念し(あくまでも失念。ここ、ポイント)、うっかりのめり込んでしまったのだろう。しかし燕山王はあくまでヘテロであるとtartanは思う。王に同性愛の嗜好があるのなら、コンギルはとっくにガッツンガッツン押し倒されているだろうから(笑)

つまり、・・・・あれ、何が言いたかったんだっけ(^^ゞ あはは。
ええと、つまり、同性愛の映画とは程遠いかと。tartan思いますがいかがなもんでしょ。コンギルが『さらば我が愛 覇王別姫』の蝶衣(レスリー・チャン)くらい、身を捩るような愛憎を表現していればまた違ったかもしれないが、まあチャンセンの方もあまりそれに応える気はなさそうだし(笑)
ハチャメチャ暴君の^^;;燕山王は別として、主役の二人はもう少しネジ一本ずつ飛ばしてもよかったかな~と思わずにはいられない。どちらもいい人すぎて、残念だ。結果、ネジなんか全部ぶっ飛んでしまっている燕山王が一番光っていた。
多分、イ・ジュンイク監督というお人は、根がとても真面目な人なのだろうなと、ふとそんなことを感じた。

痒いところにちょっとだけ手は届かなかったけれど、それでも総括すればとても面白い映画だったと思う。機会があればもう一度じっくり観てみたい。

ちなみに昨日の青龍賞では『王の男』、残念ながら主要な賞をことごとく逃してしまったようだ。
愛しいJDGの『台風』をのこと思えば「ざまみれ」だわさ。ハンカチ、キーーーッ(笑)というのはウソだけれど、まあそんなもんかねえ、という淡々とした感想でございました。

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2006年12月13日 (水)

そこで小田和正は反則(滝涙) ~『手紙』~

※「Happy Together」は全てのレビューにおいてネタバレに配慮しておりません。作品を未見の方で、内容を知りたくない方は充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。(管理人)

【Written by tartan】

Tegami_1_1「最も直木賞から嫌われている男」として名高かった(笑)東野圭吾さんが『容疑者Xの献身』で第134回直木賞を受賞したことは記憶に新しい。受賞の際「落選するたびに仲間と審査員の悪口を言いながら自棄酒を飲んでいた。だから今回は勝てて嬉しい」というような、およそ物書きらしからぬ^^;;物言いをなさったのがとても印象的だったのだが、候補に挙がりながらも賞を獲得できなかった作品のひとつ『手紙』がこの度映画化された。で、昨日観てきた。ちなみに原作はtartan、まだ読んでいない。(^^ゞ

進学校でトップクラスの成績を修めながら、ある理由から大学進学を諦め、リサイクル工場へ就職した武島直貴(山田孝之)。職場の仲間たちがほがらかに語り合う送迎バスの中、ひとり帽子を目深に被り顔を上げようとしない。
人と関わりたくないから。自分という人間に関心を持って欲しくないから。
なぜなら・・・・・
直貴のたったひとりの家族である兄、剛志(玉山鉄二)は、千葉の刑務所に服役している。金目当てで民家に強盗に入り、誤って一人暮らしの老女を殺害してしまったのだ。
弟の学費を稼ぐために働きすぎて身体を壊し、仕事を辞めざるを得なくなった剛志。それでも優秀な弟を何とか大学に進学させたくて兄はある日、人の道を誤る。本来は明るく心優しく、何よりも自分を思ってくれている兄を、弟は懸命に弁護するが、たとえ過ちとはいえ罪のない人ひとりを殺害してしまったという事実の重みは計り知れなく、剛志は無期懲役に。直貴はひとり、身を切られるような世間の偏見と差別の荒波にもだえ苦しむことになる。
世間の風当たりを理不尽だと痛烈に感じても、はやり兄は愛おしい。度重なる転職や転居に心をすり減らし、「自分が一体何をしたのだ」と絶えず悶々としながらも、兄からの手紙が届けば、幸せだった頃の思い出が脳裏を過ぎる。だから返事を書いた。「元気でやっています。心配は要らない」と。
しかし、ずっと夢見ていたお笑い芸人への道を兄の存在によって断たれ、初めて愛した女性とも別れを余儀なくされたあたりから直貴の気持ちは次第に殺伐とし始める。
「兄の存在がある限り、俺の人生はハズレなのだ」と・・・・・

Tegami_2暗く澱んだ心の直貴を実に上手く演じていた。山田君いい役者だ。
感動した! と一言で済ませてしまえば、まるで某国の前総理のようで(笑)あまりに芸がないのだけれど、とにかく“言葉にできない”ほど胸打たれる作品だったことには違いない。登場人物のひとりひとりに、これほど素直に感情移入できた映画というのも自分自身、過去にそう多くはなかった。
殺人という重罪を犯した兄の存在を疎ましく思い始め、手紙の返事が書けなくなってしまう直貴。知人の借金を背負わされた父のおかげで、家族で逃げ隠れしながら最後は施設で暮らしたのだと告白するヒロイン由美子(沢尻エリカ)。リサイクル工場時代から直貴の抱える事情を知っていて、それでも尚彼を想い続ける彼女の「自分はずっと逃げて暮らしてきた。だからもう逃げたくないのだ」という台詞は、痛いほどに胸に迫る。直貴が初めて愛した女性朝美も、娘の幸せをひたすらに願う彼女の父も・・・・・みんな、誰一人として直貴の人間性そのものを否定することはしない。そして真っ直ぐで一生懸命だ。けれど、皆が真摯で誠実であればあるほど直貴の心は閉塞し、やりきれない鬱屈とした思いは行き場を無くす。自分は何一つ悪いことはしていない。そう分かっていても、直貴自身の人間性とは別に、兄の犯した罪というものは厳然とそこに存在し、彼を苦しめるのだ。それは最大の理解者由美子と結婚し、娘が生まれてからも変わることはなかった。
掴もうとする度に、スルリと手のひらから零れ落ちてゆく幸せ・・・・

直貴が由美子と結婚するあたりで、隣の席の人がふと腕時計を見た。実はtartanこの日、時計を忘れて行ったのでラストまであと何分残っているのか全く分からなかった。それで、もう時計を気にする時刻なのかと一瞬思ってしまった。
「え、これで終わりなんか?」と。
結婚して可愛い子どもにも恵まれて、兄との手紙もそつなく続いて・・・・直貴はそんなふうに幸せに暮らしてゆきましたとさ、めでたしめでたし、なのか?と。もしそんな映画だったらそれこそ「金返せ」である(笑) しかし案の定というか、当然というか、ラストはそんな単純なものではなかった。(当たり前じゃ!と原作者に突っ込まれそう^^;;)
愛娘にまで“兄の罪”の火の粉が降りかかろうとした時、直貴は初めて立ち上がり、一歩足を踏み出す。自分と自分の愛する家族が、今どんな目に遭っているのかを書いた手紙を兄に宛てて送る。「これが最後の手紙です」「兄貴、ごめん」としたためて。

Tegami_3兄は弟の苦しみを知らない …。玉鉄も、ガオレンジャーだったとはとても思えない(笑)成長ぶり。
そうなのだ。そこを抉り出さなくてはこの映画は何の意味もないお安いヒューマンドラマになってしまう。
兄の剛志だけが塀の外の現実を知らない。罪を償うということはどういうことなのか。それを考えた時、それぞれの選ぶべき道は自ずと見えてくる。弟は愛しかろう。弟のために犯した罪だ。けれどその大切な存在と「手紙」という形で繋がりを持ち、安らぎを得るまさにその瞬間、被害者の家族がどんな思いでいるのかということに、剛志は思い至らなければならない。犯した罪を償うということは、そういうことなのだ。ひとときたりとも忘れてはならない。癒しを求めてもいけない。被害者と、ある意味同じ重さの喪失を味わわなくてはならないのだと思う。
原作者の意図するものは多分もっと厳しいのかもしれないが、それでもtartanはとても共感できる。

直貴の兄が殺人犯であるという事実を知っていて、それでも変わらぬ関係でいてくれたのは、中学時代からの漫才コンビ「テラタケ」の相棒の寺尾裕輔(尾上寛之)と由美子の二人。精神的に危ういところまで追い詰められても、その二人に支えられ、直貴は自分を見失わずに済む。これでもか、これでもかと直貴を襲う偏見や嫌がらせ。しかし同情するわけでもなく慰めるわけでもなく、ただ傍らに佇んでくれていた二人の存在が直貴の切れそうな気持ちを繋ぎ止める。
「君が差別されるのは当たり前のことだ。差別のない世界を探すのではなく、君はここで、生きてゆかなければならないのだ」
直貴にそう諭した勤務先の会長、平野。その厳しい言葉の意味するところはつまり、裕輔や由美子のような理解者を、ひとりでもふたりでも増やして、決して逃げるのではなく、自分の居場所を自分で作れと、そういうことだとtartanは受け取った。そしてこの平野の後ろに、なぜか原作者の影が見えた。

Tegami_4兄弟って一体何だろう、と思ってしまったシーン。こんなに苦しいのに、それでも兄を憎みきれない弟。
ラスト近く、直貴は被害者の家を訪ねる。そして兄が、毎月被害者家族のもとへも謝罪の手紙を送っていたことを知る。
「もうやめてくれと、何度伝えようとしたか分からない。やめてくれと言うことすら腹立たしかった。けれど・・・・」
被害者の息子がそう言って直貴に差し出したのは、兄から来た最後の手紙だった。弟の置かれた立場を何も知らずにいた自分を悔い、だから同じように被害者に対してももう手紙を書くのはやめます、という内容のものだった。
「これを読んで、初めてもう終わりにしようと思ったよ。六年・・・・お互いに長かったね」
被害者の息子から赦しの言葉をかけられ、直貴は号泣する。そしてtartanも横隔膜を痙攣させ滂沱の涙~~(ToT)

「赦して欲しい」と願わないことが、一番の償いなのかな。ふとそんなことを感じた。
剛志は決して許しを乞うためだけに手紙を送っていたわけではないと思う。しかし毎月手紙を受け取る被害者の家族にすれば、こんなに反省している者を許してやれない自分たちは狭量なのではないかと感じてしまうだろう。愛する者を奪われて、その上そんな苦しみまで負わされるのではたまったものではない。
では剛志が被害者に手紙を送り続けていたことは間違いなのかというと、そうではない。言葉では上手く言えないのだけれど、そういう当事者以外の人間に対して自分がどれほどの苦痛を与えているのか、それを知り、背負って生きてゆくことが、「償う」ということなのかと。
そして、その領域まで辿り着いた「かつての罪人」を、温かく迎え入れてやれる社会というのを自分たちは作ってゆかなければならないのかもしれない。非常に難しい問題ではあるけれど。

最後に、漫才コンビとしてかつての相棒と刑務所を慰問に訪れる直貴。舞台上でボケる弟に、手を合わせて泣く兄の剛志。
「ごめん。ごめんな、直貴」
声にはならない剛志の心の叫びが聞こえてくるようだった。漫才を(それも結構マジで面白いの(^^ゞ)を、あんなに泣きながら見たのは(笑)初めてのことだった。静かに流れる小田和正の『言葉にできない』も、あれは反則だ(笑)

最近韓国映画を観る機会が多く、こういう純日本的感覚の映画は久しぶりに観たのだが、やはり何だかんだ言ってもtartanは日本人なんだなあと気付かされた。まんまとツボ刺激され、作り手の思うド壷に嵌った気がする。そして、各シーンごとに「韓国映画だとこの場面はこうはいかない。多分、殴る。泣く。そして死ぬ」とか(爆)思いながらの鑑賞となった。

久々の、というかJDG以外の作品で映画レビュー書くのって、もしかして初めてかもしんない^^;;;;
拙い鑑賞報告にお付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

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著者:東野 圭吾
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2006年12月 1日 (金)

泣きのツボ比較・・・「サッド・ムービー」と「ユア・マイ・サンシャイン」

※「Happy Together」は全てのレビューにおいてネタバレに配慮しておりません。作品を未見の方で、内容を知りたくない方は充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。(管理人)

【Written by miyuki】

Sadmoviesunshine1サッド・ムービーの登場人物8人。ウソンくんは思ったより涙顔ではなかったかな。
朝鮮日報のある映画に対する評で「観客が泣くためのきっかけを上手に与えることに失敗している」というようなのを読んだことがあった。
韓国の映画作品を楽しむことは、泣きのツボに気持ちよく嵌るということと同義である、などと書いても、そればかりでないべっ??と怒られそうなんだが、じゃあ「ツボがまったく無いほうが珍しくないか?」と問えば、うん、と頷いていただけることだろう。(あ・・・マワリクドイ言い方しまして^^;;)

4組の愛と別れを描く「サッド・ムービー」・・・・“どうして愛は終わるときに一番輝くのだろう”と予告編でナレーションされていたが、ここまで言われるともう、別れは予約されているわけだから、あとはもう、ツボをうまく与えてもらうだけ、上手にとろけるように料理された別れのフルコース・・・・のはずなんだが・・・・

「付き合って100日の記念日」に腐心する話じゃないが、韓国人はそういう「よく出来た演出」が大好きなのだ。4組の別れには、別れる前からそれに向かってエピソードてんこ盛りである。洒落た映画、というより「韓国らしい」ものを見た、というのがまず正直な感想である。

Sadmoviesunshine2スジョンちゃんとのキスシーン。笑っちゃってNG連発だったという。二人で買い物の帰りにヤクルトを飲んでいるのだが。あの小さい容器からストローで。(笑)
チョン・ウソン演じる消防士ジヌと、手話通訳アナウンサーのスジョン(イム・スジョン)。彼女はジヌを心から愛しながらも、かつて耳の聞こえない妹スウン(シン・ミナ)を火事から助けてくれたジヌの仕事に怯えている。不器用な彼はプロポーズもなかなかしてくれないし。彼は彼で、いまひとつ自信がないのだ。
聾唖というハンデがありながらも遊園地で明るく働く妹スウンは、喧嘩してジヌに素直になれない姉に「お姉ちゃんは好きな人に愛していると言えるじゃない!」と懸命の言葉を投げる。
ジヌがプロポーズする決心を固めた矢先のこと、スジョンとジヌに別れが訪れる。残された防犯ビデオに写っていたジヌの「告白」が第一のツボ。
あのウソンくんの演技である。それを見ながら、スジョンは「ごめん、愛してる」のウンチェがムヒョクの前で「アジョッシィ~~~、うええ~~~ん」と手放しで泣いたのと同じ顔で涙する。ウンチェよりも少し大人の設定の女性だと思うのだが。

ツボその2、病気で世を去る運命の母親(ヨム・ジョンア)と小学生の息子(ヨ・ジング)。病気になる前のママは仕事で忙しく、フィチャンは子供ながらにストレス溜りまくりだった。しかし、ママが病気になってから、皮肉なことに触れ合う時間は増えた。ママがどんなに自分を愛していたか、自分がどれだけママを大事に思っているか・・・・病気が悪くなっていくママの姿に堪え切れず「ママあ~~~~~死なないで~~~」と雨の中大泣きするのだ。もうもらい泣きするしかない。ツボにドボン。
フィチャンの着ている制服がとても可愛い。美人のママは、といえば、あのイルジメのいわっし(イファお嬢様)、JDGの元カノである。ホラー・クイーンとか言われ、細すぎちゃってちょっと怖いくらいなんだが、これがなかなかどうして意外に素適なお母さんぶり。最近念願のお嫁さんになられたわけだが、彼女の細すぎるジーンズの後姿(御尻に寄った皺と、間の隙隙な脚)を見ながら、いわく言いがたい、妙に慕わしいようなしみじみした気分になったのは何故だろうか。彼、彼女、二人してこんなに細くなっちゃって。やっぱり似たもの同士?(JDGがすんませんでした、ってわけでもないんだけども。汗。)きっと、いい人なんだろうなあ。お幸せに。

Sadmoviesunshine3_1ジャパン・プレミアで来日、記者会見。ジングくんの憧れはウソンくんらしい。シン・ミナちゃんのスウンは映画の中でヤクルト大ジョッキで一気をしていたが、本物かな?思わず腹具合が気になってしまった。
ツボその3。
このママのいまわの際に、フィチャンが依頼した「別れさせ屋」が、上手に書けたママの絵を持ってやってくる。
「自分は別れの代行をしてきたが、依頼人は最後のお客さんだ、お客さんはあなたと別れたくないと望んでいます。」
別れさせ屋はそう告げるが、危篤のママは臨終に苦しみながらも
「息子にきれいに書いてくれてありがとうと伝えてください」と声を絞り出す。(ななな、なんでこんなときに別れさせ屋だけが病室に?)

別れの代行業ハソク(チャ・テヒョン)は、3年も決まった職に就かず(就けず?)スーパーのレジ係のパート、スッキョン(ソン・テヨン)に愛想を尽かされかかっている。ある時町なかで、別れたい男に代わりに電話をかけてやり、見知らぬ女性に感謝されたのを機に自分で代行業を始めてみれば、商売は順調。色んな人に別れを告げに行き、たまには逆ギレした相手にぼこぼこにされながら、やっと「まともな収入を得られる仕事を見つけた」とスッキョンに告げるが、その彼女から「別れたい相手」が当の自分の依頼が入ってしまうのだった。彼女は彼に少しは後ろ髪を引かれていないわけではなさそうなのだが、先の見えない状況にはもううんざりだったのだ。

ハソクはいいかげんなところ大いにありだが、基本善人である。テヒョンくんはこういう男の情けなさをやらせたらほんとうに巧い。自分に向けられた別れの依頼を影ながら泣き泣きやっと終え、もうこの仕事を止めよう(人々と自分の別れを経て思うところがあった)と決心するくだりはこのちょっとよくわからない演出だらけの映画の中で、ちゃんと彼なりの説得力のあるものだった。優しいのだが、惜しい。ううむ。(別れさせ屋の映画を企画して別に一本撮ったらそれはそれで面白そう。)

ツボその4。
耳が不自由で、頬に火傷痕のあるスウン(シン・ミナ)。仕事は遊園地で着ぐるみを着て白雪姫を演じること。彼女が恋をしたのは遊園地で似顔絵を描いているサンギュ(イ・ギウ)。
好きになっても、コンプレックスからスウンはなかなか白雪姫のマスクを外して彼の前に立つことが出来ない。彼もだんだんその白雪姫の中身が気になって。
仕事仲間の小人さんたちや、姉スジョンの助けで傷を隠してやっと彼の前に立ち、念願の絵を描いてもらうが、彼女はもっとちゃんと本当の姿を見てもらわなくてはと思い立ち、メイクを落として彼に素顔を見せる。
耳が聞こえず、頬に傷のある彼女の現実は、若くてちょっとのんびりしてそうな彼にはすぐには受け止めきれないものだった。正直である。しかし、スウンに後悔はなかった。
切ない現実だけれど、いっそ清々しい初恋のエピソード。

韓国ドラマや映画ではこんなハンデや逆境がずいぶん出てくるが、その描き方はけっこうシビアで、現実的だ。立ち向かい方も。そのへん、日本とはすこし違っている。このエピソードも、日本人が見たらずいぶん厳しいと思わぬでもないが、恋愛には臆面もなく大騒ぎする韓国人もこういうところは豪気だ。いっそ潔い。がんばれスウン!そんな君ならいつかジャストな愛に出会えるさっ。

はっきり主張する韓国人。やんわりの日本人。その涙のツボも微妙なところですれ違いがあると、最近とみに感じるmiyukiなのである。
(泣きのツボ・順不同にて、あしからず・・・)

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そんな日本人映画ファンも有無も言わさず押し倒された、2005年青龍映画祭男優主演賞をもさらった強烈な涙のツボ、それが「ユア・マイ・サンシャイン」である。(原題「君は僕の運命」)

Sadmoviesunshine4_1新婚のソクチュンとウナ。ソクチュンのお気に入りの場所で。
農村で黙々と牛の世話をしながら、結婚資金を貯め、将来は自分の牧場を持つことが夢の純朴なソクチュン(ファン・ジョンミン)は、ある日見かけたコーヒーショップのウナ(チョン・ドヨン)に一目惚れ。牛のごとくまっすぐにアタックを開始する。可愛い外見からはわからないが、うぶなソクチュンには想像もつかないような男女の修羅場に傷ついて生きてきたウナは、なかなか心を開かなかった。しかしやがてその優しさに、プロポーズを受け入れるまでに。コーヒーショップとは表向きで、コーヒーの出前とは、「そういう商売」であるため、ソクチュンの母(ナ・ムニ)はさすがに大反対するが、可愛い次男の一途さにほだされ、ウナの気立ての良さに嫁として認めるのだった。
農村の青年に嫁が来ないこと、30過ぎても母親にパンツを洗わせて妙な厭味を言いつつも、おっちゃん間近の独身次男が可愛くてならない韓国の母。そんな現実を垣間見せながら、ウナとソクチュンの幸せは長く続かない。ウナのもと夫という男(チョン・ユソク。オールインのあの、テス)が現れて、執拗に二人にタカる。ソクチュンは可愛い牛を売り、手切れ金として男に渡すが、男はソクチュンには「ヒョン」と下手に出ながら、ウナのほうにはしつこく復縁を迫り脅し続ける。
そんな時、以前の血液検査から、ウナがなんと「HIVキャリア」であることが発覚。が~~んっ!!!ソクチュンがその事実を言い出せないままぐるぐるしている間にウナは責任を感じ姿を消してしまう。

キャリアであることを知らずにどんどん身を落として行った結果、ウナは逮捕され、世間の目に曝され、(犯人の顔は情け容赦なく出す!という韓国ならではのアレ。)裁判に掛けられる。(キャリアなのに売春していた、という罪。)
ウナの居所は判明したものの、巻き起こる偏見の嵐。田舎の農村ではソクチュンも差別と冷たい目にさらされて・・・・。

Sadmoviesunshine5_1思い出の場所を懐かしむウナ。切ない牢獄シーン。
ファン・ジョンミンさん、こんなにもっさりした男だったっけ?と思うくらいの嵌りっぷりがすごい。15キロ太って、12キロ落としたそうである。彼の「ウナやあ~~~」と呼ぶ声は、この映画を見たら少なくとも一週間くらいは頭の中でぐるぐるしそうなくらいに熱烈だ。
服毒自殺まで図り人生ぼろぼろになっても、それでもウナを守りたいと思うソクチュンの一途さ。もう文句も言えない。年老いた母を泣かせて申し訳なくとも、牛男ソクチュンはウナのほかに生きるよすがを見出せないのである。

クライマックスが超弩級の涙のツボだ。面会室の机に登り、スピーカーをぶっ壊し、壁をも破壊しそうな勢いでウナの手を求めるソクチュンの姿を見て、周りの客は冗談でなく皆タオルハンカチ噛み締めて泣いていたもの。もう、爆走ソクチュン真っ向勝負。負けました。
「二人が幸せであれば、最後まで守り通したいと思えば、そこには純粋な愛がある」そんな姿は、チョン・ドヨンとファン・ジョンミンという名優二人あってこその説得力であった。

この話は実話だそうである。モデルになった二人は今も発症せず幸せに暮らしているという。

「ウエディング・キャンペーン」(僕の結婚遠征記)のチョン・ジェヨンもそうだったが、
農村の独身青年をやるためには10キロくらい太るというのがお約束なのだろうか。肉の厚くなったお顔はおのずと油ぎっしゅ。農村仲間に冬ソナのヨングクことリュ・スンスが出ていたが、彼は特に太っていなかったけどな。(笑)喫茶「純情」主人にコ・スヒ(クムジャさんの牢名主)、ソクチュンの村の里長にキム・グァンギュ(チングの嫌味なビンタ教師)など、よく見る面子も。あ、「君は僕の運命」という二人の記事を書いた記者役の男もどっかで・・・と思ったら、「私の頭の中の消しゴム」のスジンの不倫相手の上司をやっていたぺク・ジョンハクであった。

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Sc6これって、いわゆる「正ちゃん帽」か?(って、誰もわからないか。ぶははは。)
さてさて、10月末の来日騒ぎのときに撮られたサムスン・カードのCMのJDGである。まだかなり気温が高かったようだが、この冬支度。寒がりさんだという彼もさすがに目の焦点がアヤシイ?(笑)シマのマフラーも初々しく。帽子はあまり似合ってないけど。ちなみに、ハウステンボスはオランダの街並みのはずだが、手にしている地図は「フランクフルト」らしい。ははは。
この撮影の後の新しいCMの話はまだ聞いていないが、がんばれ、CM王!(ちがうって・・・^^;;)

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