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2006年11月

2006年11月20日 (月)

トンマッコルと星条旗

※「Happy Together」は全てのレビューにおいてネタバレに配慮しておりません。作品を未見の方で、内容を知りたくない方は充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。(管理人)

【Written by miyuki】

「トンマッコルへようこそ」
「父親たちの星条旗」

この2本を同じ日に見てしまった。
我ながらへヴィーな午後であった。
子供の頃、戦争についての何かの番組で見たアメリカの太平洋戦争記録映像が頭の片隅を過ぎって行く。1月にソウルの戦争記念館で見た朝鮮戦争の映像などもそうだったのだが、日本も記録の殆どはモノクロの映像で、そこに写る光景の印象は、とくにまだ子供のころなどの自分にははっきりと、「自分が生まれる前の歴史」という認識なのであった。
しかし、サイパンも硫黄島も、アメリカにはカラーの記録映像がある。これを目にした時、俄かに現代の歴史として今に繋がる時間なのだという実感のようなものが、浅はかな子供心にも巻き起こったのを思い出す。
年端の行かない、或いは大人だけれど想像力の足りないものにも、カラーの記録映像というものはそれだけ「具体的に示される現実」なのであった。
(日本人カメラマンの撮った広島、長崎の直後のカラー記録映像も存在するが、それは当時アメリカの指示により撮影されたものである。)

Dongmakgolseijyoki__1有名な星条旗掲揚シーン。現場にいた3人の兵士は呼び戻されて、戦争債ツアーに出る。ピマ族インディアンのアイラ・ヘイズ、ジョン・ブラッドリー、レネ・ギャグノン。
数年前に亡くなった母方の大叔母のご主人は、新婚の妻を残して硫黄島から帰還しなかった日本兵の一人だった。何度も会うことはなかった大叔母だけれど、子供心に残った言葉は「玉砕」である。それがどんな現実だったのかを、もちろん現代に生きる誰もが知るよしもない。最近見たNHKのドキュメンタリーで、硫黄島から日本へ生還した元日本兵の語っていたことは、「父親たちの星条旗」の中で登場人物の一人が語っていることとほとんど同じ意味だったように思う。
「ほんとうの戦場を知っているものはそれを言葉にして語ることはない。思い出すことは、言葉には到底ならない痛みだから。」
硫黄島からの老帰還兵は、それでも言葉を搾り出し、訥々と静かに話していた。
「今自分が何か言っておかないと時間がない(もう自分もこんな年であるから、あの戦場を知るものがやがていなくなってしまう。)・・・・」

死体の上を戦車が容赦なく通っていく。
「兵隊は、死んでからも戦争しなくちゃならんのだと思いました。」
奇しくもそれと同じ光景に固まるアメリカ軍の一兵士のカットが「星条旗」の中にも出て来る。

クリント・イーストウッド監督の演出は淡々として、日本兵をことさらに敵として醜くも描かなければ特別な悪意も感じない。ただ、島に上陸したアメリカ軍からは殆ど姿の見えない得体の知れない恐ろしさという事実だけを描いているように見える。
戦争とは、あたりまえだが双方にとって敵と味方とが正反対なのであり、どちらにも生きて血を流し、死んでいく人間がおり、背景がある、ということだ。

Dongmakgolseijyoki__7ジョン・ブラッドリー衛生下士官(ライアン・フィリップ)ヘルメットの下の泣きそうな顔見てついジンソク思い出したワタシだが、ジョンの目線は、ブラザーフッドのジンソクと共通している。21歳役だが実際は32。童顔。
「父親たちの星条旗」は硫黄島の戦闘の後に撮られた有名な、「摺鉢山に星条旗を揚げる海兵隊員たち」の写真に写っていた6人のうち、生き残った3人のその後の曲折を描いている。
たまたまそこに居合わせただけだと自分たちは思っているのに、その写真はアメリカ国民の戦意高揚と、戦時国債キャンペーンに大いに利用された。
英雄として祭り上げられた3人の若者のひとり、善良な衛生下士官ジョン・ブラッドリー。のちに戦友が「いい男だった・・・」と語る彼の仕事振りが胸を打つ。取り乱すこともなく腕のいい職人のように、目に付く負傷兵に出来ることを精一杯施して行く無口な姿。
「衛生兵!」と呼ばれ続ける声は、彼が亡くなるまでの日々耳の奥から消えることなく、
戦闘の最中に姿が消えて、のちに日本兵によって殺された親友イギーのエピソードが、おそらくこの後公開になる2部作の日本側視点から描かれた「硫黄島からの手紙」と本作を繋いでいることは想像に難くない。

小学校の時に、社会科の聞き取りの宿題で、「だれか家族に戦争のことを聞いてくる」というのがあったので、私も南方へ行っていた父方の祖父に尋ねてみたことがあった。今でも思い出すことのできるいくつかの話はあるが、それは考えてみれば、子供にもわかるように短く語ってくれた「こんなことがあった。」に過ぎなかったのだけれど。(祖父もほんとうのところはとても一言でなど言えるものではなかったろう。)ちょっとだけ楽しそう(?)に語ったのは、マレー半島のどこかで、たしかイギリス人が置いていった車をみんなで運転しようとして河原へ転がしてしまった、ということだけだった。

Dongmakgolseijyoki__8トンマッコル村の客人たち。後列左からムン衛生兵、スミス、中列左からチャン下士官、ピョ少尉(ちなみに、名前はヒョンチョル、だよっ)、リ中隊長(韓国ではイ、だけど、北ではリ)前列左から、ソ少年兵、そして、ヨイル。
日本で制作される戦争映画は、こう言っては語弊があるかもしれないがいつも結局焦点が曖昧だ。それは戦後の教育と社会のせいかもしれないと思っている。(深く突っ込めないのである。ぶっちゃけ。)
戦争で死んでいく若者は哀しい、というところに留まり、そのエピソードにたしかに泣けはしても、そこで終わって、「だから、一回りして考えてみてどういうことなんだ?」と隣の若い観客に問うたところで、まともな形になった答えは返ってこないと思われる。たぶん今の日本の「戦争の悲劇」の描き方は大方そこに行き着くしかないのだろう。「今自分が戦争に行かされたら」くらいは思うかもしれないけれど。ドライな視点、監督ならではの視点というのは特に最近の日本の戦争映画(つか、時代が戦時中の映画)ではお目にかかれないような気がする。(大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」など思い出すが、あれってもう相当前の作品だものねえ・・・)

戦争は現実に今も世界中で続いている。
「星条旗」のエンドロールで使われている写真は実在のもので、戦死した軍曹マイク・ストランクの迷彩・ヘルメット姿など、まるで今現代を生きている兵士たちから借りてきた1枚のように鮮やかな瞬間が切り取られていて胸が痛い。
「誰のために戦っていたかといえば、それは戦友のためだった。」
戦場なのに、泳いでいいよと言われ、皆でつかの間楽しむ海水浴の場面に被せて、そう語られている。それは答えの出ない戦争と人間というものを考えながら映画全編をここまで観てきたものには限りなく重く、痛い。

「何のために戦う(死ぬ)」か。
片や韓国映画「トンマッコルへようこそ」でも、そのテーマははっきりと伝わってくる。
韓国にあって日本にはないもの、それは一般人男子の兵役であり、先日満期除隊になったソン・スンホンくんのような人気俳優とて徴兵検査で特別な理由を付けられない限り逃れることは出来ない。(理由、つけたんだけども。汗。)そして容赦なく2年間社会の活動からはきっちり遠ざけられ、彼の場合は砲兵であったという。

それだけに、韓国映画、軍隊が出てくるものの描写には妙にリアリティがある。役者さん本人のみならず、スタッフも、兵役に就いたことがある人間ならば銃が扱える。実弾も撃ったことがある。そういうことなのだろうと思う。

朝鮮戦争のさなか、連合軍兵士のスミス、韓国軍のピョ少尉とムン衛生兵、人民軍のリ中隊長、チャン下士官、ソ少年兵の6人が、江原道の山奥の桃源郷トンマッコル村に、手繰り寄せられるようにしてやってくる。予期せぬ「敵軍」との遭遇に互いに村の真ん中で力んでみたものの、村人の純粋でトボけたリアクションに腰砕けに。うっかり村の蔵を爆発させてしまい、ポップコーンの雪を降らせ村人皆大ハシャギするも、それは貴重な一年分のトウモロコシ。責任を感じた6人は村人とともに畑に出て農作業を手伝いながら、いつしか打ち解けて行く。

原作は、韓国のクドカンとも三谷幸喜とも称される映画監督チャン・ジン氏の手になる舞台劇。監督の傑作「ガン&トークス」ですでに共演したことのあるチョン・ジェヨン(人民軍リ中隊長)とシン・ハギュン(韓国軍ピョ少尉)が、今回も「野糞の仲」(草むらで並んで用を足す二人。粗食だったのにたまのご馳走イノシシのバーベキューのおかげで「脂身で通じがいい」というリ中隊長の言い分に爆笑。)シン・ハギュンのほうは舞台版のほうにも出演したのだそうだ。

Dongmakgolseijyoki__9シン・ハギュンとチョン・ジェヨン。ガン&トークスでも素敵な共演だったっけな。
言葉の通じないスミスにアヤシイ英語の教科書を棒読みしながら「はう あ~ ゆ~?」と話しかけ、「ふぁいん さんきゅ~」とお手本どおりの答えが返ってこないとうろたえる姿は日本と同じ?な村唯一のキム先生。悪名高き駅前留学のCM「助けを求める外国人に背を向け走り去る」外人さん「待ってエ~~~」・・・を地で行くような場面があったのには、つい笑ってしまった。
ス、という苗字は韓国には存在しないのか珍しいのか、「ス・ミス」と微妙な発音で思い込んだお客さんの名前に、屈託なく笑う村の少年ドングと、少し頭の弱い女の子ヨイル、そのヨイルに「はじめての感情」を抱く坊主頭のソ少年兵・・・・戦いに疲れたりひそかにトラウマに苦しんだりしている大人のお客さんたちに、村の光景はじんわりと沁みて行き、やがて訪れた村の危機と戦時の現実に対し、わだかまりを捨て皆で村を守ることでひとつに纏まって行く。

どうして人は敵対するのか。ひとりひとり顔を付き合わせて見れば、それは愚かなことと実感できる。しかし、桃源郷の外に迫る避けられない現実。
かつて避難民の渡る橋を、命令とはいえ爆破せざるをえなかったことに苦しんで、軍を脱走し、死のうと思っていたピョ少尉。片や自分はそんな器でもないと心では思いながら、流されるまま時には味方の兵士を見捨てざるをえなかったリ中隊長の、「何のために戦うか(死ぬか)」が一致する。戦いで死ぬのなんていやだ、と抵抗していたムン衛生兵は気の毒だったが、彼も大好きなヒョン(チャン下士官)を残して去ることは出来なかった。みんな、いいやつである。
村を爆撃の標的から外すことに成功した時、花火のように美しい爆弾の雨の中で、互いに満足そうにリ中隊長とピョ少尉は微笑み交わす。
・・・・・もう、泣きましたとも。

この映画は、2005年韓国映画界の興行収入一位であり、800万人からの観客を動員している。これが単独演出としてはじめての作品のパク・クァンヒョン氏たっての願いで依頼された久石譲氏の音楽と、トンマッコル村の描写のせいで、ジブリ映画実写版などという言い方も日本ではされていたが、仕事振りは見事な職人芸。文句のつけようも御座いません。

しかし片方で、南北を正面から扱えばうんざりされる本国の現状。わかっちゃいるんだろうけども、うっかりすると日本の勉強熱心な韓流アジュンマのほうが真剣に考えちゃうかもしれないこの現状。(大いに的外れかもしれないんだけど。)

かくいうワタシも、チョン・ジェヨン氏演ずるリ中隊長の北訛り が、「タイフーン」のシンと同じだあ・・・と密かにじわっときてしまった韓流アジュンマの一人である。

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Pljdg__4纏まりはそれなりにいいが、謎の旅行者。ジーンズの股上長し。(ぷっ。)カバンは妻のエルメスもどき?で、右。こんなに完璧なルックスなのにこの下半身の空間。JDGさん、いろいろ漏れすぎですってば~~。(笑)
Giojdg__3こちらは、ジオダノ。同じJDGだがこのテイストの違い。(可愛い)
久々の更新で真面目すぎちゃって申し訳ない。
最近のPARKLANDのJDGで和んでくだされ。しかし、キメキメなのになんでか笑えるテイスト満開。miyukiの中ではマニアックに「綺麗・・・」とうっとりすることと、アジュンマ乙女のしるし「素敵過ぎますう~~~」はどうやったって一致しないんだな。(だからと言ってどこが違うんだか説明しろといわれても・・・出来ないんだが。んふ。)

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2006年11月 8日 (水)

供給過剰の末に(i Super Star Festival 2006中止)

【Written by miyuki】

ほんとうならば昨日7日、あのさいたまスーパーアリーナにて行われていたはずの大きなイベントがあった。「i Super Star Festival 2006」というもので、韓国の大手プロダクション「サイダス」の俳優さん数名が揃う、実現したら昨年の「オールスターサミット」に次ぐくらいのイベント(?)のはずだった。
私も、チョン・ウソン氏、チ・ジニ氏、チョ・インソン君、ほんとに予定があったのか謎だがチョン・ジヒョンちゃんなどにはちょっと興味があったが、なんといてもやっぱり「高い!」んだもん・・・これがJDGなら、瀕死(必死ぢゃないのか?)になっても頑張って用意する金額でも、「ちょっと興味~~」くらいでは、たまのあぶく銭でもなければなかなか手が廻らん(大袈裟)というのが普通だと思うのだが・・・・だいたいDVDも本もご本人関連イベントも、一気にいろんなものが出すぎ、ありすぎ状態だったんだから、日本。
バブルのさなかだって、大体の日本国民、貧乏は貧乏。ムリが出てくるものである。出したくたって財布の中身には大いに限りがあるんだぜ。主催者様。ようするにちょっと、「供給過剰」?(そんなの、少し前から、わかっていたことだけれども。)

じっさいにチケットがどのくらいが売れたものやら詳細はわからないが、中止になった今、「オークション」に手を出してしまった人など、どうしているのだろう、どうなったろう、どうにもならないだろうなあ・・・などと想像し、ちょっとだけ頭が痛かった。
なぜオークションに手を出してしまう?それは魚心と水心。だからそこに起こってくる問題も自業自得だと言える。冷たいが。たとえいくらに値が吊りあがったとしても、そのときの熱情にはいかんとも抗いがたいのだろうなあ。

Isuperstar1実現したらどんな内容だったのだろう。で、一番チケット買ってしまったのはどなたの・・・??
タレントのスケジュールの調整の失敗により、イベントの遂行が困難になったため、などと表向きには言われる中止の真相の、その他モロモロまでは知るよしもないが、巷の一介の韓流ファンレベルまでもが、最近どうやら知ってしまったことがある。日本と韓国、芸能界でも普通の世界でも、仕事に対する認識の違いというやつである。
韓国ではドタキャンはよくあることで、皆あまり驚いたり困ったりしないらしい、ということに始まって、計画も詰めも警備も成り行き、観客・ファンを振り回すだけ振り回し、時間に遅れまくってお目当てのタレントの出演が短くなっても、「ちゃんと出来たんだから、いいじゃない、なにか文句でも?」という姿勢。本国の地方でのイベントではいつぞや競技場で多数死傷者の出たこともあったっけ。(韓国人は日本人のように辛抱強く行列に並んだり待つことは、大体の人が嫌いなのである。自己主張もずっと強い。よね?)

日本側も商売でさんざ振り回され、直前に中止になったグッズの販売や、出しちゃってそのあとで揉めた事例等々、記憶にあるだけでも結構な数だ。(某コンビニの、韓流四天王ライターとか、あとでちょっと揉めたガムのおまけのDVDとか思い出したり。)
しかし、ここも「魚心と水心」な話。日本側も色気を出したわけだから。
外国のことは日本人の常識をもってどうこうしてはやはりいけない。立ち止まって、状況考えてから、怒るなら怒る。(甘く見られてはいけないし。)で、きちんと接点を持つべく話し合う。日本側の考えだけで進めてかみ合わなくなったからといって、今回のようになけなしの財布から出たお金を受け取っておいて、楽しみにさせておいて、この仕切りは一体どういうもんだ・・・?

契約、進行に対してこういう流れになることが多いのだ、と普段から互いの国に関わっている現場なら予想出来ていることも、新規参入組には予測できないことが多かった、というのもバブルならではじゃないか。ビギナーズラックのでっかいのを横に見て、色気を出したメンメン、どっちもどっちじゃなかろうか。うちは被害者、って日本人よく言うけれど。
(結果大きいの小さいの、俳優本人が巻き込まれ他人事ながらちょっと大変そうなの、エトセトラ・・・)これからの展開も含め、皆でいろんなことを学んだら良いと思う。韓国人と日本人、近いようで国民性にはとっても違いが多いのだから。

Pb2_1寒かったの?JDG・・・
昔から心ある韓国映画ファンはいたし、好きな人は困難なルートを物ともせず、お目当てのドラマのビデオ(DVDでなく、ビデオ。)を入手してはマイナーに鑑賞してきた。ここ数年降ってわいた韓流バブルで浮かれた皆さんがあっさり去ったとしても、残るファンはちゃんと残るものである。
そもそもバブルのピークはどこなのだかわからないのだが、思い出すのは昨年同じさいたまスーパーアリーナで開催された「韓流オールスターサミット」というイベントである。日韓双方のテレビ局が絡み、現場はいろいろあったかもしれないが、吃驚するような観客を集めてそれは開催され、両国へ放送もされて、大物から新人まで、あれだけの顔ぶれが揃い一気に目にすることの出来たというのは、これからの状況を考えたらもう二度とないことかもしれない、と思えてきた。チケット争奪戦、激しかったっけ・・・(遠い目)

ファンの間だって「好きな俳優さんを思うこと」に対する考えの違いについては最近よ~~くわかった出来事があって、ここもまあ言ってみれば狭い村の中のナンとか派、みたいな話だが、人間基本、自分の考えで生きるしかないのね、ということを再認識した。そんでもって、同じ考えのもの同士でしか会話にならないのね、結局。(どこでももしかして少数派になってしまう私なのであった。)なんたって年寄り、ハラボジだから、たまに「きゃああ~~~」と叫んでみようにも腰砕けである。とほほ。奥さん方の会話にも入れないしな。
ただ、奥さん方も、たまには視野を広く持って、で、自分のいるところ以外にいる人間の考えていことにも思いを致すということもしてみたら・・・と思ってみたりするのだけども、これも余計なお世話かね。(もう一度、入念な自戒を込めても言っております。)、

Hanblologo「世界韓流ブログ同盟」エンブレム
今後の韓流の成り行きを見守るべく、「世界韓流ブログ同盟」なるサイトに当ブログの主も会員登録をしてみた。今回のイベント中止のことで検索していて辿り着いたのである。雑誌KBOOMの制作統括をされている女性が代表とのことで、いろんな俳優さんや歌手の、基本自分のブログを持っているファンたちが、地に足の着いた韓流を目指し交流を図る、といったところであろうか。外から見たら一からげでも、案外他所様の様子は見えないのが最近の韓流でもある。
世の中のブームの流れはどうであれ、自分が好きになったものはやはり自分で見極めて行きたいと思う。
「韓ブロ」には、ここへ行けばとりあえず、ファンは今の正しい状況がわかる、というような場を作っていただきたいと願っている。

興味のある方は訪れてみて下さい。HPのほうはまだお店開きしたばかりで工事中が多いが、会員数は日々増加中。(ブログは持っていなくても会員登録が出来る。)

◇ 韓流雑誌の編集日記&韓ブロ   http://blogs.yahoo.co.jp/kivtv
◇ 世界韓流ブログ同盟ホームページ   http://www.hanblo.com/php/top.php

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暴走する皆の過剰な心配を他所に、極地的に忙しく仕事するJDGご本人様、5日はプレーボーイズの試合をしていたようだ。こんなお写真流出。(笑)
一緒の人たち、一般人だよね、きっと。目に黒線入れるべきかもしれないけども。(こんな状況だもの、韓国のネット。)何かあったときには、削除致します。

一般人と並ぶとやはりパーツの一個一個の大きさと繋がり方の違いが露ですな。同じ地面に立ってるのにね。おや、ヒョンジン婆やもちゃんと混ざってる。(婆やも坊ちゃま側の人種なんだけど、一応~~。爆。いつもお守り、ありがとうね、婆や。)

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2006年11月 1日 (水)

“げそ”のなぞ。

【Written by tartan】

先日、学校から帰るなりtartan家の次男坊、チャンが叫んだ。
「オレさ、チャンゴのリーダー! でね、Kは村人13でさ、Yなんかカラスだよカラス! あぁ嬉しいなあ~~、楽しみだなあ~~」
・・・・・・・・意味が分からない(-_-;) 
相変わらず世界は自分を中心に回っていると思っているB型。
『俺の、世界の中心は、俺だ』という映画を作ったら間違いなく主演だろう。
彼の言いたかったことを要約すると、つまりこういうことらしい。
「来月の学芸会で、『三年とうげ』という劇をやることになり、その中で一番人気の高かった音楽隊チームのリーダーに自分は選ばれた。九年の人生で初めて我が身に巡ってきたリーダーの座。嬉しい。いつも何かと張り合っているK君は村人13で、昨日大喧嘩をしたY君はカラス8だった。ああいい気味だ。余計に嬉しい」
ああそりゃよかったねと普通に流そうとしたのだが、劇の内容というのにちょっと興味をそそられた。この『三年とうげ』というお話、韓国の民話なのだそうである。(作:李錦玉)

Haraboji_1疑うということを知らないイノセントなハラボジ(笑)
昔々、そこで転ぶと三年しか生きられないという世にもおっそろしい~~~^^;峠があった。そこである日うっかり転んでしまったおじいさん。その日から、あと三年しか生きられないことを悲観するあまりごはんも食べられなくなり、とうとう病気になってしまう。ところがある日水車屋のトリトルとかいう青年が見舞いに来て、「一度転ぶと三年生きられるなら二度転べば六年、三度転べば九年生きられる」などという、とんでもない(笑)現状打開策を提示するのだ。アホかと思うはずなのに、こともあろうにすっかりその気になったおじいさん。これまさしくコロンブスの卵、とばかりに三年峠に出向いてゴロゴロゴロゴロ際限なく転びまくった。そしてすっかり元気になって長生きし、とうとうヨーダになりました(ちゃうちゃう(^^ゞ)。めでたしめでたし、というお話。

教科書に載っているこの民話を元にした劇を中心に、女の子たちによるアリラン、音楽隊(チャンゴ)の演奏、それに歌。この四つを学芸会にて披露するのだそうだ。チャンゴは市内のどこかの小学校にあったものを借りたらしい。(よくそんな物があったと、とひたすら感心) 
tartanはチャンゴという打楽器に関しては知識ゼロだったので、今回チャンにいろいろ教えてもらったのだが、演奏は結構難しいのだという。チャンゴ本体を抱えるか床に置くかして、「クングルチェ」と「チェ」という二種類のバチのようなもので叩いて音を出す。(※但しあくまでチャンの説明。「クンチェ」と「ヨルチェ」と記載されているサイトなどもある)
チャン曰く、「両方一度に叩く動作を“ドン”、クングルチェで手とは反対側の面を叩く動作を“クン”、チェだけで叩く動作を“タ”という。この“ドン”と“クン”と“タ”の組み合わせでリズムを刻むのだけれども、“ドン”の時ほんの少しでも左右のタイミングがずれると全然違う音になるので、そこがとても難しい・・・・
なるほど。
ものの資料によると、チャンゴの音というのは雨の音を表しているのだという。(ちなみにチャンゴを縦に置いたときの形は、上の革が天、下の革が地、真ん中の木の胴が人間を表しているそうである)

Gtyago_5チャンゴ。持ち手が黒くて先端に丸い玉が付いている方がクングルチェ(クンチェ)。手前がチェ(ヨルチェ)。
様々な韓国映画、ドラマなどでもチャンゴの演奏シーンというのがあった・・・・・・・はずなのだが、今一瞬にしてすべてが霧散した(笑) 
なんだっけ?? どっかで見たような・・・・しかし一切思い出せない。記憶が・・・・ああ、記憶が・・・・
どなたか、思い出して下さい(^^ゞ

今回なぜこの学芸会のネタを記事にしようと思ったのか。その最大の動機が、学年全員で歌うのだという韓国語の「歌」である。
「それはなんていうタイトルの曲なの? 歌詞のプリントとか渡されてないの?」
「え? 曲名なんて知らない。耳で聞いて覚えなさいって先生が言うからプリントも何にもな~い」
そんなっ・・・・「のだめ」ぢゃないんだから先生(笑)
かくして、タイトルも意味も内容も果たして正しい発音なのかも分からない怪しいハングルの歌が、このところ毎日tartan家に響き渡っているというわけである。
以下、チャンの歌うまま。

な~え~さるどん、こんひゃぁうん~  こっぴ~ぬんさんこるぅぅ~~
ぼっすんあっこん、さるどんねぇが   あ~ぎ~ちんだるれぇぇ~~
う~る~ぐっぷる、の~でぇがぁ~   ちゃぁりぃん~どんねぇぇ~~
く~そ~げ~そ~、のるどんでぇが~  く~り~すむに~だぁぁ~~

「ママはチャン・ドンゴンのファンなんだから、意味わかるんでしょ?」
「ヘ・・・・ヘタすぎてさっぱりわからん」
「さてはそれは言い訳だな? オレでも少しはわかるっていうのに」
「え、分かるの? どこ?」
「“くそ”はもちろん***(中略)***で、“げそ”はイカの足のことでしょ?」
「・・・・・・」
ああ、本番までもうあまり時間はないというのに。
「く~そ~げ~そ~」の部分だけやたら大声で歌う、ある意味“正しい小学3年生”のチャンに、どなたか正しい「く~そ~げ~そ~」の意味を教えてやって頂けないでしょうか^^;;;;
兄の吹奏楽の演奏会で、「あ! オレあのバズーカ砲みたいな楽器、吹いてみてえなぁ! ちょーカッコイイし」と大声で言ったチャン。・・・・ファゴットのことだった。そんな彼がリーダーのチャンゴ演奏って・・・・・心配で夜も眠れない。

★劇中、教科書には出てこない「トッケビ」という生き物が登場するそうだ。「トッケビ」とは日本の妖怪の韓国版のようなもので、しばしば韓国の民話に登場するのだそうだ。善なのか悪なのかわからない、つかみ所のない不思議な生き物だという話である。

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